マーベル映画の隆盛を築いた作品
マーベル映画の隆盛を築いた作品として、マーベル映画の歴史に残る「アイアンマン」は、「ダークナイト」のような深みはないが、理屈抜きに、最高に面白い。
コミックスのヒーローだから、不死身で当然だが、ロバート・ダウニー・Jr.が演じるアイアンマンは、天才的な頭脳と最先端の技術の産物である、アイアンマンスーツを着けているから不死身なのであって、その意味では誰でもがなれるヒーローなのだ、といった理屈を構築してある。
若くして才能を発揮し、父親の軍事工場を継いで、次々と新しい武器を発明するスターク社のCEO、トニー・スタークは、イラクへの視察の途中、ゲリラの攻撃を受け、重傷を負う。
気が付くと、武装集団の基地の中で、一命をとりとめたのは、同じく捕虜になっている医師インセン(ショーン・トーブ)が、バッテリー駆動の人工心臓を埋め込んでくれたからだった。
武装集団のリーダー、ラザ(ファラン・タヒール)は、彼らにスターク社の最新兵器を作らせようとするが、トニーは、飛行可能な着脱式のパワード・スーツを作って逃げ出すことを考える。
自動車のバッテリーを抱えながら行動するのは不便なので、まず、彼は、アーク・リアクターなるものを自作し、人工心臓を自動駆動にする。
それを装着したトニーの心臓の部分は、プラズマライトのおもちゃでもつけたように光っていて、こんなものを着けたら、武装集団に怪しまれてしまうのではないかと思うのだが、そうでもないところがコミックス。
やがて、武器ではなく、脱出装置を作っているのがバレてドンパチが始まるが、トニーは、インセンの犠牲的な強力で、パワード・スーツで収容所を脱出。
砂漠に着陸して、彷徨っているのを、スターク社と密接な関係を持つ軍の空軍中佐ドーディ(テレンス・ハワード)が差し向けた捜索隊のヘリに助けられる。
アメリカに英雄的な帰還を果たしたトニーは、マスコミの記者会見で、スターク社が軍事から手を引き、平和産業に転身すると宣言して、最高幹部のオバディア・スティン(ジェフ・ブリッジス)を驚かせる。
彼は、トニーの父親の友だちであり、良き番頭としてトニーにつかえてきた。
スキンヘッズのジェフ・ブリッジスを見るのは初めてなので、これまでのイメージを一新して面白いが、一新したのには理由があり、それがだんだんはっきりしてくる。
軍事産業であるから、当たり前だが、彼は、武装集団にも武器を供給していたのだ。
ここから、やがて、ドラマの核心は、トニーとオバディアとの闘いへと進んでいく。
アメリカの軍事産業が、直接、中東の武装集団に武器を供給していれば、それは、すぐに問題になるが、蛇の道は蛇で、様々な迂回路を通して、表面的な敵、味方の関係を無視した形で武器が供給されている。
「敵こそ、我が友」のクラウス・バルビーのような奴が、無数に暗躍しているのだ。
さもなければ、中東で起こる、自爆攻撃や自動車爆弾に必要な火薬類が手に入るはずがない。
天才トニーには、友だちはいない。彼を食事から日常的な記憶までの世話をするのが、グウィネス・パルトローが演じるペッパー・ボッツという女性だ。
常に一線を置き、プレイボーイのトニーの女にはならない。
パーティに行くことを命令された時も、あくまで、仕事としてその役を演じきる。
にもかかわらず、双方にちょっとしたきっかけがあれば、一線を越えてしまうであろう緊張感があり、それが、なかなか映画的なロマンスとして、うまいシーンになっている。
そして、セリフも実にしゃれていて、こういう役をやらせると、グウィネス・パルトローは実にうまい。
トニーは、アメリカンで、中東から脱出してアメリカに帰って来た時、パルトローに、チーズバーガーが食べたいと言う。
アメリカ人の多くは、アメリカを離れると、無性にチーズバーガーが食べたくなるらしい。
日本でも、そういう世代は確実に増えているような気がする。
この映画は、エンターテインメントとして、実に良く出来ているが、ロバート・ダウニー・Jr.が演じるトニー・スタークという人物の孤独性、ポジティブに言えば、日常的な面ではダメだが、何でも自分で作るDIY精神の旺盛さが興味を引く。
どのみち、現代人は、彼のような性格を持たざるを得ないのだ。彼は、テーブルの上に置いた2つのモニターに向かい、人工知能と対話しながら作業をする。
彼にとって、対話の相手は、人工知能のロボットなのだ。
モニター画面でシミュレイトした映像を、そのまま空を切ってドラッグして、別のテーブルの上に移すと、そこにホログラムの立体映像が浮かび上がり、先程、モニター画面でシミュレートしたものが立体的なヴァーチャル・オブジェとして姿を現わす。
あとは、それをマシーンとして組み上げるだけだ。
今の技術では、これほど簡単にはできないとしても、ここで描かれていることは、それほど空想的な事ではない。
そのあたりの、まんざら嘘ではないテクノ環境を、あれこれと見せるところが、この映画のうまさであると思う。