令和のきらら系アニメを象徴する存在
『ぼっち・ざ・ろっく』は高校生4人が「結束バンド」というバンドを結成し、ライブハウスや路上、学校などでの演奏経験を通じて音楽的・人間的に成長していく姿を描いた作品だ。TVアニメは2022年10月-12月に放映され、2022年を代表する作品の一つとして高い評価を獲得している。
本作は『まんがタイムキララMAX』にて連載が始まった同名の漫画作品を原作としており、いわゆる「きらら系」と呼ばれる系譜に属する。実際アニメ作品においても、いい意味で間の抜けたゆるやかな日常や、キャラクターの可愛らしさを強調するような描写といった、きらら系作品に共通の特徴がいくつも見受けられる。
しかし『ぼっち・ざ・ろっく』の画期的な点は、きらら系作品としての枠組みを守りながらもその世界観に一定の客観性を有しているところだ。例えば「結束バンド」のメンバーである4人の演奏力は、どんなに絶えず練習を積み重ねても高校生レベルの域を出ない。それは彼女たちが特別な才能に恵まれているわけではなく、バンドに憧れを持つただの女の子に過ぎないからだ。ゆえにライブハウスでの演奏も簡単には許可してもらえない。仮にライブを開くことができたとしても、必死にそのチケットを売り回ったとしても、ひとたび雨が降ってしまえば残酷なまでに客足は遠のいてしまうのだ。
主人公の「後藤ひとり」の内面描写にもそうしたリアリティが見られる。いわゆる陰キャで友達と呼べる人が誰もいないという彼女だが、「クラスメイトに話しかけて欲しくてギターケースをこれ見よがしに背負って登校する」「やたらと自己評価が低く、いつも周りから蔑まれているのではないかと怯える」といった描写には、視聴者層も相まって多くの人の共感を呼んだのではないだろうか。共感というよりも、もはや共感性羞恥といっても差し支えないかもしれない。
理想郷や優しい世界の提供を視聴者から求められているきらら系作品にとって、これらの描写は一見相容れないもののようにみえる。しかしこれらは視聴者に強い当事者意識と作品への没入を実現させた。日常社会では目立たない存在である後藤ひとりが、インターネットではソロギターの腕が高く評価されている(かつ顔出しをしていないので現実のバンドメンバーは気づかない)という一面は、私たち誰もが持つ「自分は本当はすごい人間なんだ」という想いに寄り添っている。4人での「演奏」が高校生レベルに過ぎないからこそ、後藤ひとりによるギター「独奏」力の高さが際立つとともに、このクオリティが条件付きでしか発揮されないことにもどかしさを感じる。そのもどかしさは視聴者を作品に引き込む原動力となり、彼女が土壇場で力を発揮した時にそれがカタルシスとなって視聴者の心を鷲掴みにするのだ。
『ぼっち・ざ・ろっく』と極めて対照的な作品として挙げられるのが、同じくバンドをテーマにしたきらら系である『けいおん』であろう。『けいおん』が「放課後ティータイム」という箱庭の中であたたかく育まれる物語であるのに対し、『ぼっち・ざ・ろっく』は絶えず外部からの刺激にさらされながら成長していく物語だ。同じ題材を持ちながらもここまで方向性の違う作品である『けいおん』と『ぼっち・ざ・ろっく』がどちらも大きな話題を呼んだのは、両者の間に10年余りの年月の隔たりがあるからだろう。『けいおん』が提供する閉鎖的なユートピア世界に視聴者が憧れる時代は終焉を迎え、『ぼっち・ざ・ろっく』のように視聴者と作品世界とに接点を持たせた救済的側面を有する作品が受け入れられるようになったのだ。