棒読みと呼ばれているが、それこそが必須だったアニメ
奥浩哉先生原作のアニメ。
放映当時、重要キャラクターである「獅子神晧」の声が棒読みだと大変叩かれた作品でした。しかし、この棒読みこそが必要でした。
獅子神晧というキャラクターは主人公である犬屋敷壱郎と対比させるためか、様々な面で犬屋敷壱郎とは正反対の存在として描かれています。
主人公の犬屋敷は子供二人がいる大変老け込んだ、冴えない中年サラリーマン。獅子神晧は今どきの若者。
犬屋敷は窓際気味で家族からもぞんざいに扱われるような生活でしたが、正義感は強く、弱くとも他人を助けようと考えます。対して獅子神晧はいわゆる陽キャで、自分の周りに対しては優しいが他に関しては不気味なほどに無関心。
この獅子神晧の無関心は、若者にありがちな自己顕示欲に拍車をかけ、いたずらをエスカレートさせ簡単に命を奪うようになります。
この無関心からくる簡単に行われる殺人事件、普通であればアニメだし「あ~、やっちゃったねえ」くらいになるのですが、ここで獅子神晧の棒読みが活きてきます。
人は人と違う存在は違和感を抱きます。簡単に人を殺せるようになってしまう獅子神晧のその棒読みが、感情を一切持たないロボットのような無機質さを生み、周囲の人間には優しいはずの獅子神の二面性を際立たせているのです。
母親が死に、自分を助けてくれた女の子が自分のせいで警察に連れていかれ、獅子神晧は絶望ややり場のない感情を警察や、全く関係のない人々に向け、「バン」「バン」と口で拳銃の音を出しながら大量殺人を行います。
この、獅子神晧の絶望を知りながら聞こえてくる棒読みが、一度は他人に対して感情がないのだろうと思わされた視聴者に、「その感情を持っていたならなぜ今まで出さなかったのか」とやるせなさを覚えさせます。
物語自体ははこの犬屋敷壱郎と獅子神晧の対決で終わるのかと思いきや、想像外の展開に発展します。是非見てほしいと思います。