長渕剛

長渕剛

長渕剛(ながぶちつよし)とは、日本のシンガーソングライターである。1977年に『雨の嵐山』でデビュー。当時の名前の読み方は「ながぶちごう」だった。翌年、『巡恋歌』をリリース。同曲が本格デビュー曲として知られており、読み方も「ながぶちつよし」になった。
1980年にリリースした『順子』でオリコンチャート1位を獲得。翌年、当時アイドルとして活躍していた石野真子と結婚するも、1983年に離婚した。1988年には『乾杯』や『とんぼ』をリリースし、どちらもミリオンセラーを記録する大ヒットに。1990年には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、ベルリンから生中継で3曲を披露。
1995年、大麻取締法違反で逮捕されたが、処分保留のまま釈放され、不起訴となった。2011年に起きた東日本大震災の直後には、復興支援ラジオ番組を立ち上げ、自ら被災地に足を運ぶなどの活動を行った。2015年には、静岡県で約10万人を集めたオールナイトコンサートを成功させている。

mamiken4のレビュー・評価・感想

長渕剛
10

昭和の男

長渕剛は昭和の男です。若い時にヤジの中で歌ってきたことで精神的にも鍛えられました。デビュー曲は「雨の嵐山」ですが、これは遠距離恋愛の彼女に会いに鹿児島から京都まで行ったのに、そこでフラれてしまうという悲しいお話を歌にしたものです。渾身の自信作だったにもかかわらず、自分の望む形とは違った形でアレンジされ、しかも、全く売れなかったそうです。改めて聞くと、まだ21歳と若いのに、歌唱力もずば抜けており、当時から歌に相当の自信を持っていたことがうかがえます。ですが、全く売れなかったことで、場末のクラブで歌って日銭を稼ぐ生活を余儀なくされ、無理やり演歌を歌わされたり、ビール瓶を投げつけられたりしたそうです。そのときに怖い人たちを冷静に観察していたことで、後年、暴力的なドラマづくりにも生かされています。
また筋肉ムキムキのイメージが強いですが、昔はやせていて、40歳の頃にひょろひょろの自分を情けなく思い、肉体改造に取り組みます。自分の体重すら持ち上げられなかったのに、100キロのバーベルを持ち上げられるようにまでなりました。そうなるまで8年かかったそうで、その根性には驚かされます。こうして、少しずつ自分のブランドを高めて行って現在に至ります。