Sakanactionの表現と私
音楽が好きな人達は、アーティストを生きがいや人生の活力として、生活の中に溶け込んでいるのではないかと思う。
もちろん私もその一人である。
車を運転している時、近所の公園を散歩している時音楽はいつもそばにあると感じている。
そのうちライブにも行ってみたくなるのは自然な成り行きである。
しかし2019年末からじわじわとコロナ禍が忍び寄り、あっという間に全世界を巻き込んでしまった。
そんな中、芸能・文化に関する催しは生活から完全シャットアウトされた。
一時期すべてのコンサートは中止されたことは皆さんの記憶にも新しいと思う。
そんな中、コロナ禍だからこそできることは何かSakanactionは模索し続けていた。
そしてそれをファンに色々な形で提示してくれたのだ。
過去のライブを無料でSNSで流したり、オンラインライブを上映してくれた。
私が受験で上京した日の夜、YouTubeで過去のライブ配信を観た。
受験生というものはとにかく不安で孤独でプレッシャーに押しつぶされそうになるが、その時なぜか自分は一人ではないと思うことができたのだ。
正直に言うと、息抜きのためたまたま観てみたというのが当時の状況であったが、驚くべき転機だった。
それ以来私はSakanactionの大ファンになってしまったのだから。
その後もいくつものオンラインライブをみせてくれた。
私が孤独から脱出できたのは、彼らのコロナ禍へのたゆまぬ挑戦がインパクトとなってネガティブな壁を打ち破ってくれたからではないかと思っている。
音楽としての表現は同時にリスナーへの贈り物となるのだ。