夢の先の先で
日本のアニメ「パプリカ」から着想を得て、さらに発展させた作品としても有名な夢にまつわる映画。
しかしながら、今敏のアニメ「パプリカ」においての夢の解釈とは少し違っている。パプリカでは、夢とはその人物のパーソナルな記憶や感情で成り立っており、夢の中に存在するものは全て既存の何かを配置することで成立していた。
しかし「インセプション」においては、夢とはアイディアが生み出される根源として描いており、夢と感情のリンクが少し薄く感じた。(主人公の夢は異常なものとして扱われていたので例外とする)全員が見たい夢の場所を思うままに操れると言う状態なのだ。
どうしてもそこがパプリカと比べてしまうとハテナな部分だと思う。私は人間は何かを創造するとき必ず自身の記憶が影響を及ぼすと思うので。
アクション映画としてみると、絵的な派手さ(折れ曲がる街や爆発、宙に浮く人をケーブルで繋げるシーン等々)は見応えがあって満足できる。
(日本人だからそう思うのかもしれないけれど)折角日本という夢のように古今和洋が折衷している場所を最初の舞台にしているのに、申し訳程度で済ませてしまっているのは勿体ない気もする。(気のせいかもしれないけど新幹線のシーンでは京都で降りるって言ってるのにガッツリ景色は東京だし…)
ラストの駒について。これは観客による色々な意見があり、それぞれの考察自体がこの映画の面白さをより引き出すと言う仕掛けになった最強のラストだと思う。
私個人の考えでは、前作の「ダークナイト」公開時に銃撃事件が起きてしまったことが関係しているのではないかなと思った。
現実と映画を観客が混同してしまわないように、ノーラン監督が「今まであなたが見てきた映像自体も夢と同様現実ではありません」って観客に対して注意書きのような意味も込めているのじゃないかなと思った。
ラストに疑問を持たせることで、自殺することで夢から醒めようとする人が本当に出ないようにしたのでは?と考えた。
色々深く考えて訳が分からなくなった後に「まぁ映画の話なんだけど」って言う結論に至って、ある意味夢(創作の世界)から醒める(あの音楽と共に)という粋なエンディングを計画していたのじゃないかな。
物足りないなぁと思ってしまうのは、夢の世界というルールが曖昧な舞台だから仕方ない。逆に言うと私ならこうしたいと言う楽しい会話が生まれる素敵な作品だと思う。