進撃の巨人の魅力とは何か
まず、「進撃の巨人」とはどんな話なのか。何を描いているのか。「どんな作品?」とこの作品を見たことがない人から聞かれたとき少し言葉に詰まって困る人は多いだろう。悩んだ挙句「すごい作品だから見て!」と言うしか無くなってしまう。
しかし、なぜ説明に困ってしまうのか。それは、それぞれのseasonによってどんな作品か、答えが変わってくるからだ。
season1ではグロテスクなホラー作品でありながらも、親が死んだ少年少女が訓練兵として仲間の助けを借りながら大きな敵(巨人)に立ち向かうという、ファンタジー作品にありがちな展開も踏襲している。
season2では訓練兵時代に同じ釜の飯を食った仲間それぞれの話にフォーカスがいく。その先にはまさかの同期による裏切りや意外な過去が明かされるが、ここでもまだ『進撃の巨人』の世界とは何なのかは分からない。
season3part1ではさらに、「巨人と戦う」という前作のテーマから離れ、「巨人とは何なのか」を隠し続ける王政府との戦いになる。ここでは巨人の存在すら忘れかけるくらい人間ばかり出てくる。
season3part2ではついに「世界の歴史の秘密」が明かされる。そこに到達するまでの戦いの描写は、命と戦果を天秤に掛ける「戦争」を想起させられる。
season4ではついに、外の世界の出来事がメインになる。
外の世界では第二次世界大戦時のような生活をしており、飛行船が飛び、機関銃の弾が塹壕の上を飛び交うような戦争をしていた。ここでは現実の人類の歴史をオマージュするような形になっており、初期の頃の「巨人を駆逐する」というセリフでも全く意味が変わる。
このように全体を掴もうとすると、どんどん世界が広がる作品なので、重大な秘密をネタバレしてしまいそうになる。「巨人の秘密」や「この世界の秘密」を明らかにするという話だと言ってしまうと進撃の巨人の全てを表せていないような気がしてしまう。
私が思うこの作品の魅力は登場するキャラクター全員が人間味があり、作中のキャラクターと同じ視点で秘密は何なのか知りたくなるところだ。
口では語らないはずの心の中の声をそのまま台詞にしているアニメはよくある。これには登場人物の心の中を見ている人全員が共有できるという、良い点がある。しかし、現実では心の中を全て口に出して言ってしまうような人物は居ないに等しく、現実に接する人間らしさが失われてしまう。進撃の巨人では、心の動きは表情やキャラクターの言葉の端にみられる。それ故に、見る人や解釈によって違う見方が出来てしまう。だからこそこの作品は人々を魅了するのではないか。