キャラクターの魅力は作品の魅力である
流行る作品には、大抵、キャラクターに大きな魅力がある。事実、『キングダム』も、主人公・信にとって永遠の憧れとなった、王騎は絶大な人気を誇るキャラクターだ。
独特な風貌に「オネエ喋り」、それに反して武力・知力のみならず、多くの者から支持されるだけのカリスマ性。間違いなく、王騎は人気キャラクターとなるべくしてなった。
ところが、実のところ、王騎以外のキャラクターはパッとしない。特に青少年のメインキャラクターは、「どこかで見たことのあるキャラクター」という感想を抱いてしまう。
主人公・信は直情的で力押しメイン、昔から漫画ではよく見たタイプの主人公だ。これは歳を重ねても変わっていない。
第二の主人公・政は至って真面目で、絵に描いたかのように「聡明な王」として申し分ない。だが、やはりオリジナリティは感じない。
ヒロイン・羌カイは、分かりやすく「トラウマを抱えた復讐キャラクター」なのだが、トラウマを抱えるに至った過去の描写が実にお粗末。要は「ただの寝坊」で遅刻をしたため、姉のような存在を守れなかったというのだ。いくらなんでも、「切れ者」「頭がいい」と何度も他のキャラクターから言われている割には、マヌケな理由だろう。
そして、第二のヒロイン兼マスコットキャラクターの河了貂は、孤児として独りぼっちの期間が長かった割には、トラウマや悲しみに蝕まれる描写があまりにも無い。
メインキャラクターがこれでは、説得力はとても薄くなってしまう。もっとキャラクターさえ作り込んでいれば、さらに『キングダム』は魅力的な作品となったように思えてならない。