バスケを通して人生を描いた作品
『あひるの空』(以下『あひる』)は2004年に少年マガジンで連載が開始され、2019年にはアニメ版がテレビで放送され始めました。
未だに連載されている長寿の漫画作品です。
長く続いている漫画は、大体すぐにテレビでアニメ化されます。
しかし、『あひる』に関しては、漫画の連載開始から15年の時を経て、テレビでのアニメ化に至っています。
これは一体どいうことなのかと言いますと、実は、作者の元にテレビのアニメ化の相談が何度かあったらしいのです。
しかし、作者本人がその度に断っていました。
主人公のキャラクター設定が「NBAを目指す」ことに変えられたりすることに、作者は納得しなかったようです。
確かに素人目から見ても、149センチでNBAを目指すのはいくらなんでもやりすぎだし、それに『あひる』の本質を掴み損ねています。
タイトルの「あひる」とは、まさしく「飛べる」ことが重要な資質となるバスケにおいて、身長が149センチしかない「飛べない」主人公のことです。
ただ、本質がないアニメ化を断るほどに、作者は真剣にこの漫画を描いているのです。
そういう作者の切実さが、読者である僕にはひしひしと伝わってきました。
この作品がいかに妥協のない作品なのかが分かります。
加えて、15年の時を経てもアニメ化に耐えうるという事実は、この作品が時の流れによって陳腐化されるような作品ではないということも証明しています。
『あひる』は車谷空という身長149センチの高校生を主人公にした、基本的にはバスケットボール漫画です。
いわゆる「チビ」である空が、身長が重要な資質であるバスケにおいてどう立ち向かっていくのかというのが基本ストーリーなのですが、この作品においてそんなことは別に大したことではありません。
『あひる』が他のスポーツ漫画と比べて特異なのは、バスケットボールを通して「人生」を描いているからなのです。
空たちの通う「クズ高」のバスケ部が試合で初めて勝利をあげるのは冬に入ってからです。
単行本だと20巻あたり。
そんなスポーツ漫画を僕は他に読んだことがありません。なのに、どんどん読めてしまうのです。
それはこの作品が「バスケットボールで勝利をあげること」に主眼を置いていないからに他なりません。
試合だけでなく、学校生活や恋愛もどんどん描かれます。
子供たちだけでなく、教師たちや親たちも悩みます。
『あひるの空』に出てくる大人たちはみんな魅力的です。
不完全だし、決して生徒たちの規範となるような大人ではないにもかかわらず、魅力的なのです。
大人になっても人は悩むし、むしろ大人になってからの方が悩むのが人生ではないでしょうか。
また、『あひる』では音楽がよく流れます。
音楽が記号として単純に描かれているだけでなく、読んでいると本当に聞こえてくるのです。
自分がその音楽を知っていると、頭の中でリズムが立ち上がり、メロディが鳴り出し、歌詞がリフレインされるのです。
たぶん作者が音楽を愛しているからだと思います。
『あひる』はバスケ漫画ですが、バスケそのものよりも、雨の日の体育館で埃の舞う匂いや、かつて学校の渡り廊下から眺めた景色、試合の朝に感じるいつもと異なる空気の響き、部活を途中で辞めた後にかつての仲間と鉢合わせる気まずさ、そんなものを思い出させてくれる作品なのです。
スポーツをやったことのない人にも、ぜひお勧めしたい青春漫画です。