名画の条件を満たした社会派映画「クライマークライマー」、一見の価値あり。
美術の世界のおいて、「名画の条件」というものがある。それはその絵の前で人々が「対話」を始めるというものだ。
「私はこの作品からこういう印象を受けた。」
「僕はこういう解釈がその時代にあっていると思う。」
「この描写おける作者の意図は何か?」
「その解釈はおかしい。」
「いや、おかしくなんかない。解釈に正解なんかない。自分がどう感じたかが大事だ。」などなど。
人々はその絵の前で答えを押し付けられるのではなく、自分なりの答えを持って、しかもそれを別の誰かの答えを聞いてみて、語り合いたくなる。昔からそんな絵は名画とされる。
美術に限らず、映画の世界においても同じことが言えることであるとすれば、この作品もまたその名画の条件を満たしていると言える。
離婚問題、育児ノイローゼ、女性の社会参加、男性の育児参加、長時間労働などなど2時間ほどの映画に様々な社会問題がテーマに詰め込まれていながら鑑賞後、暗い印象になっていないのは、良く練られたシナリオとヴィヴァルディの曲「マンドリン協奏曲」のおかげだろう。
この映画がアメリカで公開されたのは1979年だが、現在も全く色あせていないのは現在の我々がこれらの問題の解決をほとんど前進させられていないということでもあるが、同時にやはり登場人物の演技によるだろう。名優ダスティン=ホフマンとメリル=ストリープがお互いの表現力を法廷で競わせるシーンは一見の価値がある。
しかし何よりも注目すべきは、子供役のジャスティン=ヘイリーの演技と言える。演劇の世界で「子供と動物には勝てない」という格言があるが、この作品の一番の注目点は、大人の名優二人に挟まれながら彼らの演技を完全に「喰う」演技をしているヘイリーの演技にあるのではないか。
またおそらく特にラストの描写に対する感想は、男/女によって違うと思う。または、既婚者/未婚者もしくは子供がいる/いないによっても違ってくるはず。
そんなこんなの自分の感想をそれぞれ違う立場の人とまじあわせて、語り合いたいと思う、この名画の前で。