チェンソーマンは神様ではない
初めて藤本タツキ作品を読んだのが、「チェンソーマン」だったので衝撃を受けました。
馬鹿で金がなくて学もない、何もない少年がただ生活のために悪魔を殺している漫画でした。
デンジはそのくらいアホで何も持っていない、下手をすればそのままのたれ死ぬような、少年でした。そんな何も持たない少年が、マキマという女に出会い人生が変わりました。デンジがマキマのために、マキマと付き合うたったそれだけのために、たくさん血を流して、死ぬ直前なのに笑っている。こいつは恐ろしい少年だと思いました。普通の感覚で、女と付き合いたいだけで、ヒーローを志す奴なんていません。少なからず世界を守りたい、誰かを安心させてあげたい、みんなが生きる世界のために戦う人がほとんどです。私が好きな特撮ヒーローや、アメコミのヒーローはそうでした。でも違う、デンジは自分のためだけに戦っているのです。そこが不思議でたまりませんでした。性欲のためだけにここまで命をかけられるか、少年とはそういうものなのでしょうか。
デンジが戦う姿を見て、人々はチェンソーマン様だと崇めました。性欲のために戦っているのに。デンジは哀れで、馬鹿な奴だけど、やっぱりカッコよく見えてしまうのは、ヒーローを都合よく神様にしてしまう大衆の性なのでしょうか。