「代理戦争」としてのスポーツ
ガンダムシリーズをはじめアニメファンでこの作品を知らない人はまず居ないであろう、名作中の名作。もう既に本作の内容の面白さについては語られてきた気もするのですが、今回は少し違う切り口からこの「Gガンダム」を語ってみましょう。
それはタイトルにも書いてあるように「代理戦争」としてのスポーツという側面です。意外と「Gガンダム」を語る上でこの点ってあまりファンの間でも議論になることが少ないからかと思れます。
ここからはネタバレを含みますが、「Gガンダム」の世界観、舞台設定は「ガンダムファイト」という四年に一度地球をリングとして開かれるものです。本編ではこれはあくまで「代理戦争」であって「スポーツ」ではありません。故に戦いのためならどんな手段を使っても許されます。銃火器を初めとした武器を使ってもいいし、地形を活かして策を練って勝つのもありです。また物語後半の決勝大会では直接コックピットを狙ってもいいというルール変更までなされるなど、いわゆるこの時代に流行った他のスポーツ漫画、格闘漫画とはかなり違ったユニークな切り口の大会です。現実で言えば総合格闘技「K-1」に近いと言えるでしょう。
ガンダムシリーズ全体として見ると余りにも非合理的で馬鹿馬鹿しいと思われるシステムですが、しかしそもそも考えてみれば「スポーツ」とは人間の闘争本能、競争心を「ゲーム」として昇華し、戦争の代理として行わせ、国家同士の強さを競い合うものでしょう。実際ガンダムファイトという代理戦争は国家戦争で生じる罪なき人々の犠牲を出さないようにするためのものとして作られたという背景設定があります。
しかし、だからといってそれで問題の本質は解決するわけではありません。むやみやたらと人が死ぬことは避けられましたが、それでもやはり国家間の経済格差による実力の格差は縮まることはありませんし、また全身18m以上もあり人型ロボットを借りて地球で戦う以上、地形破壊や環境破壊を免れることは出来ず、結果として地球のあらゆる国、街が見る影もない位に荒廃しているという問題があります。それを解決するためにネオジャパンのカッシュ博士(主人公ドモンの父親)は「地球再生」を目的としてアルティメットガンダムを開発するのですが、これが裏目に出てデビルガンダムに変貌、「人類抹殺」という真逆の答えを導き出してしまう。最初は「善」を目的として作られた物が「悪」に変わってしまう。
本作を「ガンダムシリーズ」として、改めて見直すとこの「代理戦争としてのスポーツ」から生じる様々な問題が私たちに「何が正しくて何が間違いなのか?」を考えさせるきっかけにもなっており、決してただ強くなって戦って頂点に立つことというありがちなスポーツ漫画のセオリーに終始していないというところに本作の「ガンダムらしさ」があり、今見直しても十分通用する普遍性があります。勿論エンタメとして素晴らしい作品ではありますが、こういう観点からも是非一度ご覧頂きたい一作です。