ムー大陸は陸地じゃなかった?伝説の謎に迫る
かつて太平洋に存在し、現代社会よりはるかに高い水準の文明を築いていたといわれている「ムー大陸」。大陸は存在しなかったという説が有力だと言われている中、ポリネシアン・トライアングルに位置する様々な島で、似たような石造物があることが判明。ムー大陸は陸地ではなく、広範囲の海上交易ネットワークがムー大陸のような巨大文明の正体だったのではという声が上がるように。画像を交えながら、伝説の謎に迫ります。
しかし今から約1万2000年前、突然悲劇が訪れる。不気味な地鳴りとともに湧き起こった大地震が大陸を襲い、それにともなって発生した大津波にのみ込まれ、わずか一夜にしてすべてが崩壊してしまったのである。
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アトランティスはさかのぼっていくと古代ギリシャのプラトンの著書にたどり着くが、ムーは同様にさかのぼるとイギリスのジェームス・チャーチワードの著書にたどり着く。
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チャーチワードによれば、1868年、16歳のときインドに従軍し、現地のヒンドゥー教の寺院の高僧が、寺院の門外不出の粘土板「ナーカル碑文」(Naacal tablets) を見せてくれたという。それには、ムー大陸(チャーチワードによると発音はMOO)の記録が絵文字で彫られていた。また、ウィリアム・ニーヴン (William Niven)なる米国の技師がメキシコで発見したという古代の石板からも、「ナーカル碑文」と同じ絵文字が記されていたという。それらを含めて、種々の古代文献を挙げて、ムー大陸が実在した証拠としている。
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根拠は怪しい?
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ムー大陸の存在を提唱したとされるジェームズ・チャーチワードは、大佐と名乗っていたが実は在籍していなかったという、とんでもないホラ吹き野郎である。さらに、解読に使われた「マヤ・アルファベット」といわれる文字がまったく使い物にならなかったと後の調査で判明している。
どれも科学的に証明できず、そもそもムー大陸など存在しなかったという説が一番有力視されている。
ムー大陸の証拠とされるイースター島のモアイ像などがあるものの、地球物理学の観点から「太平洋に沈んだ大陸は存在しない」ことが証明されている。
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その他、ポリネシアの島々もムー大陸の一部だったとされる。
ムーとは、悠遠なる太古に存在した大陸というより、チャーチワードという人物によって創り上げられた、壮大な物語と考えた方が良さそうである。
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しかし!!
三角形の中にある多くの島ではアウストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派に属するポリネシア諸語がつかわれている。ポリネシア人は言語だけでなく、伝統文化、芸術、宗教、学術などもよく似ている。
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太平洋周辺には似たような巨像が残されています。
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ムー大陸があるとされる場所の近くでは共通した文化が見られます。これらの文化は、謎の海洋民族である「ラピタ人」が作ったとされています。
5000年ほど前に、台湾からフィリピンやインドネシアに南下していき、その後、3500年ほど前には、海洋航海技術に長けた一部の人々が、ニューギニア北東にある沿岸部や一帯の島々に進出しました。これがラピタ人といわれています。
ラピタ人は航海術を駆使してフィジーやニューカレドニアに進出、さらに東進して紀元前800年頃にはサモアに到達する。ここでラピタ人による最初の大航海時代は終わり、この海域の島々に定着して独自のラピタ文化を花開かせる。
それから約1000年後。再び海洋民たちは太平洋を東へと漕ぎ出す。サモアから先の島々は孤島ばかり。より高度な遠洋航海術を身につけた人々が、大航海時代の第2幕を開いたのである。担い手となったのは、ラピタ人の流れを汲むポリネシア人。紀元数百年~1000年頃にかけて、彼らはマルケサス諸島やタヒチ、イースター島など、ポリネシアの大三角圏にある無数の島々を制覇していった。
アメリカ起源と考えられるサツマイモを筆頭にして各種の有用植物がポリネシアに古くから存在していた。
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