子どものとき活躍した芸能人の今
よくTVや週刊誌で取り上げられる「あの人は今」のコーナー。子どもの頃大ブレークした後、波乱万丈な生活を送った子役たちのその後をまとめました。
ケンちゃんシリーズ / ケンちゃんこと宮脇健
宮脇健(50)は、今から40年以上前の1967年から10年間続いたドラマ 「ケン
ちゃん」シリーズで主役を演じた。出演時は本名の「宮脇康之」を名乗っていた。
ケンちゃんシリーズは平均視聴率25%前後をキープする人気を誇り、天才子役
として持てはやされた。
「小学校4年生で月のお小遣いが20万円でした。駄菓子屋で箱買いしても使い切れなかった。テレビ局のスタッフにATM扱いされましたね。銀座の高級クラブに連れて行かれてドンチャン騒ぎ。会計を支払うのは小学4年生のぼくでした。中学生になってからは趣味にお金をつぎ込んで、カメラは500万~600万円ほど衝動買いしました」(宮脇さん・以下「」内同)
ところが、16歳でケンちゃんシリーズを降板すると仕事が激減。知り合いに仕事をもらいに行くも、子役時代、気に入らないスタッフをクビにしたり、キャスティングにまで口出しをしていた宮脇を助けてくれる人はいない。
出典: www.j-cast.com
数学教師をしていた宮脇健さんのお父さんは事務所設立詐欺にあってしまいました。詐欺師からは3000万円を要求されましたが、もう一度息子に日の目を見せてあげたいとの思いからお金を払ってしまいました。お金のなくなった家族は離散。
完全に芸能界から姿を消し、誰の心からも「あのケンちゃん」は消えていた平成初頭。
背負った借金に迫られ宮脇さんが手を出した仕事は不動産立退き。いわゆる地上げ屋です。
子役時代の印象を知っているお年寄りに近づきお年寄りに優しく接することで立退きの成績をあげていたそうです。
この当時地上げ屋ケンちゃんと巷で噂されたそうです。
フィンガー5晃/(あきら)
晃(あきら、1961年5月9日 - )は、日本の歌手・ミュージシャン。本名、玉元 晃(たまもと あきら)。
沖縄県具志川市(現・うるま市)出身。1970年、ベイビーブラザースでキングレコードからデビュー。その後、フィリップス・レコード(日本フォノグラム)に移籍し、1973年、晃が当時12歳の時、フィンガー5のメインボーカルとなり、「個人授業」が100万枚を超える大ヒットを達成し、その後、「恋のダイヤル6700」(158万枚)、「学園天国」(105万枚)と次々にミリオンセラーとなる。
出典: ja.wikipedia.org
大ブレークした「黒ネコのタンゴ」を歌っていた皆川おさむ
現在は工業デザイナー(グラフィックデザイナー)としての活動の傍らで、ひばり児童合唱団の運営に携わっています。
「50を過ぎてから体調が悪いんだよ。糖尿病で腎臓を悪化させて、人工透析を受けていたんだ」
そして、ポツリと衝撃的な告白をした。
「2年前に姉から片側の腎臓をもらい、移植したんだ。その上、首の調子もあまりよくない」
出典: www.zakzak.co.jp