戦国時代のあんな話、こんな話
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トリビア、というほどでもありませんが、戦国時代にまつわる「へえ」と思った話を集めてみました。ともすると、「戦国時代」に関する見方がひっくり返ってしまうかもしれませんし、そうでない場合も…。戦乱の世は一体どんな時代だったのでしょうか?
アノ戦もコノ戦も、ある「時期」に行われていた!?
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戦国時代…それは、血風吹きすさぶ、武士たちの時代…何もかもが武士の都合。平民は泣きを見るだけ…と思ったら、歴史的に有名な合戦の多くは「農閑期」におこなわれていたものでした。何故って?兵の大半を占める足軽が農民だからです。彼らにとっては何より田畑が大事。重たい鎧を着けて、命がけの戦いなんかやってられるか!田んぼが大事じゃ!武士の方もお米等は大事なのでそこは従っていたというか「しゃーないな…」という暗黙の了解だったんでしょう。農民の都合に合わせていたとは意外とかわいい…と思ってしまうのは気のせいでしょうか。
たくましすぎる一般庶民・合戦見物
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人の頭ってあんな高く飛ぶんだねえ。(モグモグ)
戦に参加しない一般庶民はどうしていたか?隠れてガタガタ震えていた?どっこい、そんな人ばかりではありません。弁当、水などを持ち寄り、見晴らしのいい場所から文字通り「高見の戦見物」を決め込んでいたようです。しかし弁当持参とは…首が飛んだり鉄砲玉に打たれたりするだろうに、それを生で見ながら食事するとは…戦国時代人のど根性には頭が下がります。
たくましすぎる一般庶民・主婦たちの「あるバイト」
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貧相な顔してたって、歯あ黒くしときゃ高く売れたんです。たぶん。
戦でちょん切られた生首。それを物色し、歯を黒く塗る。何のためにって?高く売るためです。いわゆる「お歯黒」は高貴な身分の人のたしなみであり、黒い歯は身分の証。こんな「バイト」がまかり通っていたということは、「お歯黒の生首マニア」がいたということ。主婦たちは一生懸命生首の歯を黒く塗り、疲れたら生首に囲まれて安らかに眠るのです。寝ぼけてテディベアのごとく抱きしめちゃったりした人も…いたんでしょうね…お給料次第なら自分もやってみてもいいです。道具使っていいんなら。
上杉謙信は民に信望が厚かった?
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性別論争の元祖?
「敵に塩を送る」という言葉で有名な上杉謙信。女性説などあるようですが、民からは慕われていたそうです。理由は乱暴なことをしない、意味なく荒らさないから。農民たちはこっそり秘密の場所を教えたり食料の差し入れなんかもしていたそうです。さすが敵に塩を送っただけのことはあります。熱く信仰していた毘沙門天から夢をお告げを受けたそうですが、その内容は「苦しんでいる人々を救え」うーん、何ていうかロマンです。
豊臣秀吉が開いた宴
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鳴かないホトトギスは自ら何とかして鳴かせる豊臣秀吉。兵たちの士気を上げるため、宴会を開いたこともよく知られています。中には「仮装大会」も…何と自ら「瓜売り」の格好をして売り歩く真似をしたり、色々とおどけて見せたようです。織田信長に気に入られるために何でもやってのけた秀吉の人心掌握術は、えらくなっても発揮されたようです。ちなみに徳川家康は籠売りの役だったとか。
一つの時代が終わり、新たな太平の世が生まれるまで続いた戦国時代。「戦って」いたのは武士だけではなく、「戦い」の形もまた一つではない、ということが分かりました。