もっと気軽に哲学しましょ。
NHKの人気番組「あさイチ」で特集が組まれた「哲学」。
「哲学」という言葉を聞いただけで、「あ、無理無理、わかんない」と扉を閉ざしてしまう人、きっと多いでしょう。
でもちょっと待って。今時代は「哲学って実は楽しいものみたい」という流れになってきているようです。
「哲学用語図鑑」が10万部突破の大ヒット!
本書について
本書の内容について、次のような評価をされているサイトがあったので、以下はそこからの引用です。
本書の長所は、突き詰めればその構成、編集の妙である。普通は「入門書」と名がついていても取り上げるトピックスのバランスが悪かったり、また文章量が多くて意外に頭に入らないということが多いものだ。その点、本書は以下の点で非常に斬新だ。
1) 詳細な説明はあえて捨て、専門家には多少乱暴に見えるかもしれないが、「これは結局こういうことだ」とポイントを言いきっている
2) 網羅性と時間軸を重視しており、初心者にも全体像がわかりやすい(ただし、今回は西洋哲学にフォーカスしており、東洋哲学には触れていない)
3) 言葉遣いが平易
4) 図表やイラストを大胆に多用してコミックス世代にも取り付きやすくしている
どれも本書の重要な要素だが、世の中の哲学書のほとんどがこれらの逆であることを考えると、その斬新さがわかる。
特に感心したのは、1)だ。哲学の難しさはその抽象度の高さと、奥行きの深さにある。抽象度の高さは事例などを用いて具体的に語ることで読者の理解を促すこともある程度は可能だが、奥行きの深さは難しい問題だ。良心的な著者ほど、それを真面目に説明しようとして、一般人にはかえって読みにくい本になってしまうというのが多くのパターンだろう。
ところが本書は、そうした奥行きを潔く捨てて、「そこまで言い切っていいのか?」と思うくらい言葉を削り、ポイントに絞り込んでいる。たとえばフランシス・ベーコンの「知は力なり」については、「生活の向上は教義からだけではなく、経験や実験による自然の仕組みの理解(自然の征服)から得られると考えました」といった感じだ。スコラ哲学との対比に関する捕捉もあるが、それも文章量としてはほとんど同じである。
出典: globis.jp
作り手側からの一言
一方、作り手側からの「あとがき」めいたこんな述懐もありました。
「事の始まりは、昨年の4月。プレジデント社でちょっとだけ面識のあった中嶋愛さんから、本書編集の打診がありました。
で、打ち合わせに行って、もうびっくりの連続。すでに膨大な図解と説明テキストは、ほぼほぼ出来上がっていたことでびっくりし、さらにそのイラスト図解のすばらしさに驚愕しました。
これは何をおいても、関わらせていただきたいと一目惚れし、何度も田中さんと顔を合わせて話をしながら内容を磨きあげ、ようやくこのたび、出版の運びとあいなった次第です。
たぶん、世界中の哲学入門書を見渡しても、こんなに図解たっぷりのものはないと思います。
もちろん「図解で哲学がわかるか」というご批判があるのも重々承知ですが、僕らとしては、哲学どころか、本だってあまり読まない人が、たまたま本屋で手にとり、パラパラっとめくって、「なんか面白そう」と買ってくれるぐらい、フレンドリーな本にしたいと思ってつくりました。
本書の内容の一部
「子育て中のママたちが集う哲学カフェ」の話
さて、最初の方で書いたように、ある日の「あさイチ」では、哲学がテーマとなっていて、そこには赤ちゃんを連れた若いお母さんたちが集う「哲学カフェ」の様子がレポートされていました。
初めての子育てで、おそらく毎日が「わからないこと」「とまどうこと」の連続であるだろう新米のママたち。
そんな彼女たちが哲学カフェで、同じような状況に置かれた人たちといろいろ語り合ううちに、思いがけない「気づき」があったらしいのです。
例えば、どうしてもいうことを聞かないこどもに対してものすごく腹が立ってしまう自分を「ダメな母親」だと思っていたけれど、「それって自分がそんな風になるほどこどものことを愛して心配してるってことじゃない?」と気づいた途端、すっと肩のあたりが楽になったとか、そんな実に身近な話です。
全国に広がる哲学カフェの輪
「あさイチ」では複数の人たちが集い、あるひとつのテーマについて語り合う場が全国的に増えていることも紹介されていました。
そんな場では、ファシリテーターという一種の「司会者」的立場の人がいます。
しかしその人の役割は決して「何かを決める、どこか一点のゴールを目指して話をまとめる」ことではありません。
原則その場では、誰が何を語ろうと自由です。
ルールは、一人が話している時他の人はしっかりと話を最後まで聞く、けっして途中で遮らないこと。それだけです。
ファシリテーターはそうしたルールの範囲内で、みんなのトークが滞らないようにするかじ取り役のような役割を果たします。
哲学カフェについて
哲学カフェについては次のようなわかりやすい解説があります。
哲学カフェは「対話」を試みる場です。
たとえ同じ環境にいたり、同じ出来事を経験していても、考えることや感じることは人それぞれです。
BunDoku哲学カフェでは、その日集まった人たちが一つのテーマについて話し、聴き、考えるというシンプルな行為を丁寧に重ねたいと思っています。
あるテーマについて、自分が思うことを簡潔に伝える。
人の話を聴いて、わからないことがあれば質問をする。
繰り返しこのやり取りを行うことで、各々の中で考えが次第に深まり、そのテーマが内包している様々な問題意識が共有されていきます。
ディベートではありませんので、発言に優劣はありません。
最終的に何か答えが出るわけでもありません。
その場で共有された問題意識は、哲学カフェが終わったあとも個々人の中でまた「モヤモヤ」するでしょう。でもだからこそ、その「モヤモヤ」を「モヤモヤ」のまま持ち帰って各々の中で内省していただき、何か新しい気付きになれば嬉しく思います。
話し方・内容について優劣が問われない
よく日本人は欧米人と比べてディベートが苦手だと言われます。
それだとなんだかディベートが苦手なのが「ダメなこと」みたいに感じてしまうのは私の僻み目でしょうか。
でも哲学カフェでは、そういった「話し方のうまい・へた」は一切気にすることはないのです。
これはとてもありがたいこと。私も人前で話をするのはお世辞にもうまいとは言えないので、「自分が思っていることを自分の言葉で語って、それを誰にも批判されない」のはうれしいことです。