独特の世界感に誘う挿絵画家・ミヒャエル・ゾーヴァ
ミヒャエル・ゾーヴァさんは絵本の挿絵画家として活躍しているが、映画「アメリ」の
小道具に使う絵を担当したことで、一躍その名前が知られることになった。彼は
幼い頃から絵描きになりたいという夢を実現したが、自分が納得がいく作品を
作るまで妥協しない姿勢は、彼の絵に対する愛着を感じさせる。個性的で今にも
何か言いたげな動物たちの顔を見ると、ほんわかとした気持ちになる。
ドイツの画家 ミヒャエル・ゾーヴァ
ミヒャエル・ゾーヴァさんは1945年ベルリン生まれ。絵描きでありイラストレーターでもあ
る彼の作品には動物が多く、時に風刺的でユーモアに満ち溢れた画風はタブローや広告
などの販促物、絵本の挿画、映画や舞台の美術など、活躍の場を広げている。
画家になるまでの道のり
小さなころから絵が好きなゾーヴァさんは、良く鉛筆で絵を描いていたそうだ。高校の
時は夜間の市民講座に通い、卒業後ベルリン芸術大学の美術教育学科に進んだのだが、
絵描きに反対する両親を説得するために教育学科を選んだのだという。大学を出た後は
美術の非常勤講師を半年ほど勤め、アルバイトをしながら画家としての活動を始めた。
出典: ja.wikipedia.org
学生時代の友人ミヒャエル・エッターさんと一緒に仕事をしていたが、
エッターさんは始めのうち広告代理店に勤務していてゾーヴァさんに
仕事の斡旋をしていたが、後になってゾーヴァさんの作品をポスト
カードに加工して販売する会社インコグニートを一緒に立ち上げた。
会社設立後は少しずつ得意先を増やし、世界中にゾーヴァさんの
絵をポストカードとして広めることに成功した。
初めての挿画
1992年、ハノーファーのヴィルヘルム・ブッシュ美術館で
開催したグループ展「二つの世紀」に参加したゾーヴァ
さんに転機が訪れた。彼の作品の「ケーラーの豚」が、
デア・シュピーゲル誌を始め各新聞・雑誌で大きく
取り上げられたのをきっかけに、問い合わせと注文が
大幅に増えたのだ。
1993年「エスターハージー王子の冒険」という作品で
初の挿画の仕事をし、翌年にはアクセル・ハッケさんの
「ちいさなちいさな王様」の挿画を手掛けた後は、
ハッケさんや他の作家の人達と組んで多数の
絵本を制作した。
出典: ja.wikipedia.org
舞台美術と映画の制作現場
1995年、オルフ・グルブランソン賞を受賞後は1998年に
フランクフルトのオペラ座で『魔笛』の舞台美術を担当
したが、魔笛の上演数は100回を上回る程好評だったため、
2000年にゾーヴァさん自身による絵本が出版された。
2001年、日本でも公開されたジャン・ピエール・ジュネ
監督の映画『アメリ』では小道具に使う絵とスタンドの
制作を行い、多くの人達に知られるようになった。他には
「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ !」の
イメージボードの制作を行った。
出典: ja.wikipedia.org
日本との縁と初の絵本刊行
日本では2002年に安曇野絵本館での原画展を
開催し、2005年~6年にかけて日本で初の講演会と
巡回展2009年にも、東京、京都、横浜で巡回展を
開催しており、何度か来日している。
2012年に絵と文の両方を手掛けた絵本
Stinkheim am Arschberg(「ひみつのプクプクハイム村」)
を刊行し、13年には展覧会「手から手へ展-絵本作家
から子どもたちへ3・11後のメッセージ」に出展、
東京新聞主催のフォーラム「絵本のチカラ-3・11後
の私たちの生き方」に参加した。2013年にはヘラジカ賞
を受賞するなど、功績が多い。
出典: ja.wikipedia.org
愛すべき「上塗り屋」ミヒャエル・ゾーヴァ
ゾーヴァさんの作品はアクリル絵の具を使って
描いているが、20年ほど前からリキテックス社
のものだそうで、アクセル・ハッケさんからは
「上塗り屋」と呼ばれるほど上塗りをするそうだ。
完成したように見える絵の上からさらに絵具を
塗り重ねる手法は、発表された原画にも使って
いて、元の原画じゃなくなっていることがしばしばだという。
出典: ja.wikipedia.org
2006年に「ほぼ日刊イトイ新聞」で
ゾーヴァさんが糸井重里さんと対談する
企画があったが、普段はイラストの仕事が中心で、
タブロー画を描く時間が足りないというゾーヴァ
さん。彼はインターネットを使ったことが
なかったが、作品が認められたのは、
彼の長年の友人で仕事のパートナーでもある
エッターさんと、彼の絵の魔法によるものだろう。
今後も目が離せないイラストレーターだ。
出典: www.1101.com