殺人犯・宮崎勤にまつわる都市伝説・噂まとめ【埼玉・東京幼女連続誘拐殺人事件】
1988年から1989年にかけて埼玉県南西部・東京都北部で起きた幼女連続誘拐殺人事件。その犯人である宮崎勤・元死刑囚についてまとめました。痛ましい事件の内容や犯人にまつわる都市伝説なども紹介していきます。
■事件の概要等についてはこちらをどうぞ
宮崎勤 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
宮崎 勤(みやざき つとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕、起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
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この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。
宮崎勤幼女連続殺人事件
www.alpha-net.ne.jp
事件の発生から死刑執行までの詳細なまとめです。
【宮崎勤の怖い話①】 宮崎勤と酒鬼薔薇聖斗が回答した心理テストの答えとは
あるところにお父さん、お母さん、子供の三人家族がいました。
しかしある日、お父さんが交通事故で亡くなってしまいました。
それからお父さんの葬式が行われました。
葬式にはお父さんの会社の同僚もやってきました。
そこでお母さんは不謹慎にもその同僚に一目ぼれしてしまいます。
しばらくして、お母さんは子供を殺してしまいます。
なぜお母さんは子供を殺してしまったのでしょう?
この心理テストを受けた犯罪者達のほとんどはお母さんが殺害した理由を
「同僚と付き合うために子供が邪魔だったから。」
「夫の突然の死で精神が疲れていたから。」
と答えるという。
しかし、一部の犯罪者に限ってはこう答える。
「子供を殺して葬式を行えば、また彼(一目ぼれした同僚)に会えるから…」
上記の心理テストにこう答えたのは、宮崎勤と酒鬼薔薇聖斗の二名だけだという。
【宮崎勤の怖い話②】 中森明菜が予言した宮崎勤の名前
フジテレビ「ねるとん紅鯨団」で、
中森明菜が理想のタイプについて俳優の『山崎努』と
言うべきところを、間違えて『宮崎勤』と答えたのです。
MCのとんねるず、大勢の観客は「はぁ?」となったのですが、
その数日後…
連続女児殺害事件の容疑者として宮崎勤が捕まったのです。
そして、その放送をした数日後、
芸能界で、その話題は絶対『タブー』とされている
中森明菜の自殺未遂騒動が起ったのです。
ねるとん 中森明菜 理想のタイプ ミヤザキツトム 放送事故
www.nicovideo.jp
中森明菜の発言があった実際の放送です。
【宮崎勤の怖い話③】 幼少時代に宮崎勤と遭遇した話
幼少時、私は宮崎勤死刑囚に遭遇している。
これまでこのことについて他人に話したことはほとんどなかったけれど、死刑執行された今後、もう話題に上ることもないだろうと思うとふいに記憶が惜しくなった。
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21年前、小学2年生の時だ。幼なじみと近くの林で遊んでいた。道路のすぐ横が斜面になっていて、そこの土は他と違って粘土質で土遊びにもってこいだったため、私たちの格好の遊び場だった。
斜面は道路を隔てて中学校と住宅に面していた。とはいえ繁華街からは遠く離れており、人通りは多くない。住民以外は滅多に見かけない土地柄だった。当然、知らない人にはついて行かないようにと教えられていた。
見知らぬお兄さんが、道に迷ったといって私たちに声をかけてきた。小さな白い車に乗ってきたらしく、地図を広げて「○○公園って知ってる?」と聞いてきたのだった。
宮崎勤死刑に思い出すこと。
anond.hatelabo.jp
2ちゃんねるでも話題になった怖い話です。
【宮崎勤の怖い話④】宮崎勤と手首がない幽霊
89年春ころから、小峰峠に幽霊が出るとの噂が立った。幼女が手を振っており、よく見ると手首がない‥‥しかし、宮崎の逮捕後は出なくなったとか。
佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より
宮崎勤冤罪説検証サイトです。宮崎勤の父が書いた新聞記事も掲載されています。
宮崎は昭和63年から平成元年にかけて4人の女の子を殺害している。そして、4人目の犠牲者の女の子を殺害、バラバラに切断した上、この小峰トンネルの山頂に遺棄した。
つまり、地元多摩で評判となった「黄色い帽子の女の子」は、宮崎勤の犠牲者の霊であった可能性が高い。
また、そうなると、女の子の幽霊の手首から上がな無いのは、手首から先は宮崎勤が食べてしまったからである。
更に恐怖の連鎖は続く。地元の新聞紙に、この女の子の幽霊騒動を掲載した記者は、皮肉なことに宮崎勤の父親であった。
【宮崎勤の怖い話⑤】稲川淳二 vs 宮崎勤 「不思議なトンネル」
稲川淳二の怪談話を聞いてきて、いままで知らなかった事実を知りました。それは稲川淳二と逮捕される前の宮崎勤に暗闘があったということです。その詳細については『稲川淳二の怪談伝説!2』の「不思議なトンネル」というエピーソードで聞くことができますが、宮崎勤がそもそも幼女を殺さなければと思いついたのが、青梅の有名な心霊スポットであったトンネル----3種類ありますが、山の最上部にある使用されていない最古のトンネル----の中だったということです。実は宮崎勤は心霊スポット巡りをするのが大好きな心霊マニアだったのです。当然稲川淳二のファンだったそうです。
旧々吹上トンネル
www.geocities.co.jp
心霊ファイル8 >旧旧吹上トンネル - 関東心霊ツアー
稲川の話中に登場する心霊スポットのレポート