高畠華宵は1888年、愛媛県で生まれました。画家を目指して上京するも目が出ず、生活苦に喘いでいました。糊口を凌ぐために広告用の絵を描いていましたが、津村順天堂(現在のツムラ)の広告に採用されてから、美女の妖艶さが話題を呼び売れっ子になりました。
その後、「少女画報」「少女倶楽部」「少年倶楽部」「婦人世界」などの雑誌の挿絵を描くようになってから、名声はいっそう高まっていきました。独特の憂いを帯びた美少女や美少年の絵は、当時トップスター画家だった竹久夢二と人気を二分するほどになりました。
1926年には、華宵自らがデザインした便箋と封筒のセットなどのグッズを売り出し、これが商業的にも大成功しました。鎌倉の稲村ケ崎に豪邸を建て、「華宵御殿」と呼ばれるほどでした。
華宵御殿には、全国の女学生からのファンレターが殺到しました。時に地方に住むご令嬢が、華宵御殿見たさに家出するという騒ぎまで起こりました。
華宵は美人画だけではなく、美少年画も数多く描きました。「少年倶楽部」の挿絵では、妖しい雰囲気の若武者や青年将校の姿絵が人気を博しました。
しかし、戦争の影が色濃くなった1937年に雑誌などのでの活動を停止します。戦後に復活しますが、戦前ほどの華々しい人気は得られず、歴史の中に埋もれた画家になってしまいました。1960年代から再評価されるようになり、漫画家の丸尾末広などに影響を与えています。
戦後は失意の日々を過ごし、経済的にも困窮し故郷の兄を頼ることもあったそうです。「怪盗ルパン」シリーズの挿絵などを描いていましたが、あまり評価されることはありませんでした。しかし、子供の頃に児童文学の挿絵などに触れた人々が華宵のことを再評価するようになり、回顧展が開催され画集も出版されるようになりました。華宵は生涯独身で、浮いた話の一つもありませんでした。縁談を薦められたときに「私には絵の中の女性たちがいるので充分」と答えたといいます。1966年に、78歳で没。
高畠華宵大正ロマン館
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華宵の故郷愛媛県にある美術館。定期的に企画展が催されています。カフェが併設され、ミュージアムショップではグッズの購入もできます。
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現在では、レトロブームに乗って画集や関連本も数多く出版されています。
憧れの高畠華宵先生に学ぶ、大正・昭和のモダンガール、女学生、令嬢たちのおしゃれ事情。
端整!あやうい!無垢!妖艶!昭和期の雑誌に描かれた魅力あふれる美少年の世界。