淀殿の大阪城天守閣が英国製ガルバリン砲で攻撃される…大坂冬の陣を簡単にまとめてみた

大坂冬の陣で豊臣家を滅ぼさんと攻め寄せてきた徳川家康。その際、大阪城を落とすために使われたのが、英国製のガルバリン砲でした。これが天守閣に直撃し、城内にいた淀殿の居間を直撃しています。この記事では、そんな大坂冬の陣について簡単にまとめました。ガルバリン砲の説明も載せています。

この砲撃では国友製3貫目の大砲が用いられており、また6月頃にイギリスより購入したカルバリン砲4門、セーカー砲1門や7日前に兵庫に到着したカノン砲(オランダ製4・5貫目の大砲)12門も含まれています。
カルバリン砲は砲身長3mを超える長い射程の中口径砲ですが、 主力にしたのは小口径だが同じくらいの砲身長をもち更に射程距離の長い国産の芝辻砲でした。
芝辻砲は暴発を恐れてか非常に肉厚の鍛造砲で、重量があったのですが、 家康は堺だけで戦役前の10年間に1000門ほどを発注しています。
大坂の陣以前の記録にも、小田原包囲で用意した大筒1000門がありますが、恐らく大鉄砲の類も含めた数だったようです。

出典: blogs.yahoo.co.jp

大阪の陣で使用されたカルバリン砲・セーカー砲(徳川方)やフランキ砲(豊臣方)は、
共に10トンを超えるほどの重さがあるようです。
現代の機械力を持ってしても「一門10トンを超える火砲」の運用は容易いことではありません。

出典: blogs.yahoo.co.jp

カルバリン砲

カルバリン砲(カルバリンほう、英語: culverin)は近世に用いられた弾丸重量18ポンドクラスの中口径前装式大砲。

また、半カルバリン砲 (Demi-culverin) という9ポンドの弾丸を発射するものもある。カルバリンという名称はラテン語のcolubrinus(「ヘビのような」)という言葉に由来し、その砲身の長さを表している。砲身は青銅で鋳造されていたが、後に鉄製の鋳造砲も製造される様になる。

16世紀から17世紀に用いられ、騎乗兵や歩兵に危害を加えた。また一方で艦載砲としても搭載され、カノン砲よりも威力は低いが長射程を有すためアルマダの海戦で活躍した。
日本においては江戸時代初期、大坂の陣に備え徳川家康がイギリスから4門購入した。

出典: ja.wikipedia.org

いったいどんな方法で、10トンを超える大筒を、どこから大阪城へと運びこんだのでしょうか?

そうした疑問に答えてくれる情報はないかと、かなりの時間をかけて探してみましたが、結局詳しい情報は得られませんでした。当時の軍事秘密だったからでしょうかね。

出典: blogs.yahoo.co.jp

家康は豊臣秀吉の死後、早くから大坂城方を討つ計画をたてていたのでしょう。
オランダに石火矢を発注し、大坂冬の陣直前の1614年11月、長崎奉行・長谷川藤広から間もなくオランダから大砲が到着するとの報告を受けています。
数量は十二門、玉の重さが四貫(約15Kg)から五貫目もあったといわれます。
それ以前に使われていた大筒の玉が一貫(約3.75キログラム)が普通でしたので、当時としては、とてつもない大型砲でした。
この石火矢は長崎から翌月兵庫に到着し、国友の鉄炮鍛冶のもと(現在の滋賀県長浜市国友町)に運ばれました。慶長二十年二月、牧野信成が国友兵四郎らに出した手紙によれば、この十二門の石火矢は、絵図にしてオランダ国に注文したものだという。信成は手紙の中で銃腔の研磨や台金物の取り付けを依頼しています。

出典: blogs.yahoo.co.jp

出典: ag-skin.com

さらに家康は、イギリスからも大砲を買い付けています。
1614年12月5日付けでリチャルド・コックスが平戸から東インド紹介に送った書簡によれば、家康はカルバリン砲4門、セーカー砲1門を千四百両で購入し、あわせて火薬や鉛も購入しています。
徳川家康は、その他にも 大坂冬の陣に際して、大友宗麟の旧臣渡辺三郎太郎を召し抱え、石火矢(仏郎機)を12 門鋳造させています。

出典: blogs.c.yimg.jp

2016年からすこし経過しちゃいましたが、まだまだ真田丸が大人気です。ぜひ大阪城もお立ち寄りください。

go-1025690017334948046613
go-1025690017334948046613
@go-1025690017334948046613

目次 - Contents