「見ざる言わざる聞かざる」は日本発祥ではなかった!【日光東照宮の三猿】
「見ざる言わざる聞かざる」で有名な日光東照宮の三猿。実は日本発祥ではなく、エジプトやアンコールワットでも発見されている、世界中で使われているシンボルなのです。ここでは日本の三猿の起源や、他国で見つかったものの画像を紹介していきます。
『見ざる言わざる聞かざる』
日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思われがちだが、3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトやアンコールワットにも見られるもので、シルクロードを伝い中国を経由して日本に伝わったという見解がある
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実は日本発祥ではなく世界中でみられる意匠です。様々な場所で三猿の像が作られています。
三猿は世界的にも"Three wise monkeys"として知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる。英語では"see no evil, hear no evil, speak no evil."という
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英語の意味があることからも、世界中で認知されていることがわかります。
日光の三猿、起源は?
日本における三猿はどこからきたのでしょうか。一説によると、中国三大宗教の一つである道教の伝説『庚申講』からとも言われています。
■庚申講(こうしんこう)
甲、乙、丙、丁…の十干と、子、丑、寅、卯…の十二支の組み合わせを日付にあてはめたもので、60日に一度巡ってくる庚申(カノエサル)にあたる日。この日に三尸からの報告を聞いた天帝は、その軽重に応じて、宿主の寿命を減らしてしまうのだ。
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体内にいる三尸を殺してしまえれば問題は解決するが、それには五穀断ちなどの、厳しい修行が必要である。ならば、庚申の日の夜は一晩中起きていて、三尸が身体から出て行かないよう見張っていればいいではないか。ということで始まったのが庚申講である。 庚申講は平安時代に中国から伝わり、江戸時代に各地で隆盛を極めた民俗信仰で、庚申待ち、守庚申とも言う。一晩中起きていて何をするのかは、特に決まっておらず、各地の伝統に従って行われていたようだ。ただ、今でも全国いたるところに「庚申塔」、「庚申塚」と呼ばれる石塔や社(やしろ)が残っており、かつての人々がこの周辺に集って飲み食いし、語り明かしたのだろうと推察される。
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庚申が「かのえさる日」に行われることで、三尸を三猿に置き換えて「見ざる、言わざる、聞かざる」が出来たのでしょう。
この庚申講という考えと『見ざる聞かざる言わざる』と猿の語呂合わせから、三猿が生まれたという説です。
さらに中国の書物である論語から来ているという説もあります。論語は中国の思想家・孔子の弟子が書いたものであり、中国三大宗教の一つである儒教において重要な書物です。
■論語
『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節がある
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「礼節にそむくことに注目してはいけません、礼節にそむくことに耳を傾けてはいけません、礼節にそむくことを言ってはいけません、礼節にそむくことを行なってはいけません」という意味のようです。