天下分け目の「関ヶ原の戦い」を3分で解説!どんな合戦だったの?
関ヶ原の戦いといえば、徳川家康と石田三成が大激戦を繰り広げたことで知られていますよね。でも、その戦いの内容がどんな様子だったのか、そもそもなぜ合戦が起こることになったのか知っている方はどれだけいらっしゃるでしょうか。そんな方のために、この記事で関ヶ原の戦いについて3分程度で読めるようにまとめました。
徳川家康との間に、大阪城にて軍をとどめておけば悪いようにはしないと内談が成立していました。
■下馬評では、西軍有利だったのですが…
小早川秀秋は、すでに家康と話し合いが出来ており、寝返ることが確約されていたのでした。
小早川秀秋の裏切りにより、戦局は大きく東軍に傾いていきます。
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■最初は寝返りを躊躇していたが…
「小早川に向け、脅しの鉄砲を撃て!」
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小早川隊の寝返りと大谷隊の壊滅により、旗本中心の家康本隊もようやく動き出し、東軍は西軍に総攻撃をかける。
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大谷隊とは、大谷 吉継(おおたに よしつぐ)のこと。詳細ここでは割愛。
石田隊も東軍の総攻撃を相手に粘りに粘り続けたが、島・蒲生・舞などの重臣は討死し、とうとう壊滅。三成も伊吹山方面へ逃走した。
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1600年9月15日の昼、開戦から約半日。様々な出来事があった日本最大の大合戦 「関ヶ原の戦い」 は、戦闘時間は約6時間ほどで決着となりました。