歌舞伎役者・市川海老蔵の女性遍歴&2010年の暴行事件詳細まとめ

ここでは11代目市川海老蔵の女性遍歴と、元暴走族関係者に暴行された2010年の事件についてくわしくまとめている。
11代目市川海老蔵といえば、元フリーアナウンサーの小林麻央と結婚したことが有名である。しかし2人が結婚する前に市川海老蔵が数々の女性と浮名を流していたことも知られており、結婚後の2010年に起こった暴行事件は市川海老蔵女癖の悪さが原因とも言われている。
市川海老蔵が交際していた&関係をもっていたとされる女性には、日置明子や宮沢りえなどがいる。

歌舞伎役者の女遊びは芸の肥やしといいますが真央さんに会うまでの海老蔵さんは女には目が無かった。

結婚後は、妻だけを献身的に支える主人になっているが

海老蔵さんは1977年に12代目 市川團十郎さんと(庄司)希実子さんとの間に、長男として生まれ、2015年の時では、 38才になります。

市川海老蔵の父親の團十郎さん 66歳で他界

歌舞伎役者って、なんであんな短命な人多いんだろ。

海老蔵のお母さま 綺麗ですね。

▼奥さんに出会うまでの市川海老蔵の女性遍歴

日置明子さん

海老蔵が17歳の時から付き合い初めました。
2002年01月に二人の間には、子どもが生まれたことが、
2003年に発覚し隠し子騒動が起きました。

その時の会見によると

海老蔵さんは認知はしましたが、結婚する気はないとして、
月100万円の養育費を払っているそうです。

女性が可哀想な気もします。やるだけやって、子供作って
認知はして金はやるけど結婚する気はないって、酷いと思いませんか?

出典: ebizo-ichikawa.com

現在の日置明子さん

海老蔵さんとの子供を育てています。

幾ら割り切って一人で育ててるとはいえ、寂しい思いも辛い思いもいっぱいしてきたでしょうし、産んだ子の父親が美人な麻央さんといちゃついてるのTVで見たら私って何って思うでしょうね。養育費を今も毎月100万もらってるにしろ余りにも不憫です。

テレビやブログで、麻央、麻央といってる海老蔵をみて私はこんなに苦労してるのにと思うでしょうし。

女に迷惑かけてて本人ノー天気に自由恋愛してきたんだなぁ…

睨みは、こうやります!

日置明子:「お腹に子供がいます」

海老蔵さん:「あそうですか」

日置明子:「私は産みたいのですが」

海老蔵さん:「あそうですか」

海老蔵さん:「産んでもかまいませんよ、、ですが僕はまだ結婚は考えられませんがそれでもいいですか?」

日置明子:「それでもいいです」

海老蔵さん:「あそうですか」

海老蔵さん:「じゃあ僕が全て責任を負います」

海老蔵さん、『そうですか』しか言っていない気が。。(笑)

歌舞伎の世界では珍しくないのが隠し子と言われる婚外子です。

市川染五郎さんや片岡愛之助さんにも隠し子がいたことは有名ですよね。2002年に生まれた女の子の隠し子です。

後に海老蔵は、小林麻央さんと結婚し、ふたりの子供を得て、海老蔵さんの心境にも変化が現れたようで婚外子の自分の子である女の子と、月1回程度で会っているそうです。

「じゃあ僕が全て責任を負います」って「じゃあ」って仕方なし言ってる気がして感じ悪い。自分が避妊もせず中出し等をしておいて結婚する気ないなら何故、男が避妊しない?

避妊しないでHしたら、子が出来るの当たり前だろ!じゃあ僕がでなく俺の責任だから認知もするし養育費も払うし出来る限りの事はします。だろう!!

宮沢りえさん

1997年<海老蔵さん 19才>
週刊誌で、海老蔵さんと宮沢りえさんの密会デートが週刊誌で報じられましたが、それはりえママが仕掛けたそうです。(あの母親なんなんだ?娘を金のためにヌードにさせてみたりとか。呆れる)

この時はりえママが仕掛けたそうで即騒動は、かきけされて収まりました。

しかし2007年には、居酒屋デートが報じられました。
居酒屋店主にりえと付き合うと海老蔵が話をしていたそうです。 海老蔵は、好きという感情のみで結局は体目当ての遊びだったのでしょうね。

出典: sukimagazine.com

10年後に居酒屋デート

海老蔵の交際発言もあったので一時期は交際していたのではないでしょうか。

宮沢りえさんは、色々な恋愛遍歴を得て一般人と結婚して離婚しジャニーズの森田剛と再婚しました。

でも、その前には、1994年に歌舞伎役者の中村勘九郎と不倫してた宮沢りえ

中村勘三郎さんは勘九郎時代の1994年9月、女優・宮沢りえとの“不倫報道”で世間をにぎわせた。泥酔したりえが、京都のホテルで左手首を切り、“自殺未遂”と騒がれた事件だ。りえ側は、泥酔し、持っていたグラスで手首を切った、と説明。(ありえないだろ、苦しい言い訳)自殺未遂を否定した。その後、ケガの直前に勘九郎がりえと飲んでいたことが明らかになり、不倫報道へと発展した。
【1994年9月28日本紙より】
宮沢りえ(21)の“自殺未遂”騒動の渦中にある歌舞伎俳優・中村勘九郎(39)が27日、京都映画撮影所で記者会見。
声を荒げ不倫を悲観し自殺未遂説を否定した。(否定せざるを得ないだろ)

しかし、本当は貴乃花と婚約破棄された宮沢りえが、拒食症になり落ち込んでいる事がずっと続いている時に勘九郎と出会う。相談役であった勘九郎だったがいつしか恋仲に。勘九郎がりえのいるホテルに来るはずであったが、奥さんが会うな、行かないでといったことで自宅に帰ったとかで、再び男性に裏切られたとおもい、既婚者と真剣恋愛をしても自分の所に来てくれない事を悲観し、宮沢は勘九郎がくるのを待っていたホテルの部屋で手首を切る自殺未遂を起こした。体裁が悪いので、グラスで手首を切ったと苦しい言い訳をした。

▼海老蔵が初めて結婚まで真剣に考えていた米倉涼子 母親のあの人は派手だから梨園に向いてないなどの反対で破局

米倉涼子

2003年<海老蔵さん 25才>
NHK大河ドラマ 「武蔵 MUSASHI」での共演から、
海老蔵さんと米倉涼子さんの交際が始まりました。

2004年にスポーツ紙に海外旅行が報じられました。
海老蔵さんは本気で結婚も考えていたそうですが、
2005年 春に破局しました。

海老蔵さんの父親は賛成でしたが母親があの人は派手だから辞めなさいとか、華やかすぎて梨園には向いてないだの母親の大反対から、米倉さんとの結婚を断念したそうです。

海老蔵の父親は、破局後も米倉の今後を心配し米倉のことを気に掛けていた。息子が本気で愛した女性だったから。だから海老蔵父の葬儀には米倉は出席した。

海老蔵と女優・米倉涼子は2003年のNHK大河ドラマで共演し、交際をスタートさせたが2005年に破局

武蔵のドラマで交際をスタート

米倉涼子との結婚を考えていた頃、病床の父・團十郎の代わりに背負った約20億の借金があったことから、後援会と松竹に『資産家の娘でなければ』と反対された

米倉と一緒になりたかったが市川家の借金のため周囲から資産家の娘でなければと反対される

金で女を決めるなよ、って思うけど

うちには、借金あるから資産家の娘にしなさいとか、あの人は華やかすぎてダメよとか全て米倉に非が見当たらず海老蔵母の都合により破局。海老蔵父は、米倉気に入ってたんだよね。

莫大な借金を抱える市川家が結婚後は米倉に海老蔵と一緒の事務所に入ってもらい、仕事をさせようとしていた事が米倉の事務所の知る所となり、二人の関係は消滅

米倉の事務所は、海老蔵の一家が米倉のことを市川家の言いなりにさせようともくろんでいたので激怒

2ckeitoma125
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@2ckeitoma125

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