女優・菊容子殺人事件まとめ
菊容子は1959年に映画『城ヶ島の雨』に子役として出演してデビューした人気女優だった。1975年、元交際相手の俳優によって殺されてしまった。ここでは菊容子殺害事件についてまとめた。
事件概要
1975年4月29日午前11時20分ごろ新宿区諏訪町149、平和マンションA棟4階46号室から「娘が死んでいる」と一一〇番があった。
女優の菊容子さんが首を絞められて死んでいるのが見つかった。彼女の首には細い紐で縛られた跡が残っていたという。
出典: atmatome.jp
第一発見者は菊容子の父親
菊容子さん(二四)=本名・菊池洋子さん=の部屋の六畳間のベッドの上で下着姿のまま(白地に花模様のシャツとの報道もある)で仰向けで死んでいるのを、訪ねて来た父親の会社役員菊池武次さん(七二)が見つけ一一〇番した。
1975年4月29日午前3時ごろ、父親の菊池武次さんへ菊容子(本名・菊池洋子)さんから「いま藤沢さんがマンションにきている。どうしよう」「結婚したいと言っている。私は断りたい。」と電話がかかったため「はっきり交際を断れ」と注意した。その時菊容子(本名・菊池洋子)さんから「舞台があるので、朝九時に電話で起こして欲しい」と頼まれた。
※当時の新聞の取材では『交際を断りたい』と菊が父親に言ったとこととなっているが、そのようなことは言っていないとの報道もある。
※犯人は父親と菊容子の電話の会話を菊の浮気相手との会話と誤解し逆上したとの報道もある。
父親の菊池武次さんは約束通り午前九時に電話したが応答がなかった。そこで新宿コマ劇場を訪れたが「まだ来ていない」といわれたため同マンションに行き、合鍵で部屋へ入ったところ容子さんが死んでいたという。
※水前寺清子公演「姉ちゃん仁義」(1975年4月2日~29日・新宿コマ劇場)
※殺害された当日は千秋楽で出演予定だった。
菊容子さん殺害後の犯人の行動
一方、父親の菊池武次さんの一一〇番通報より一五分前の同十一時五分ごろ、世田谷区会社員山本光国さん(二四)から「友人の藤沢が家に来て、高田馬場近くのマンションで、けさ女性を殺してきた、といって立ち去った。被害者は新宿コマ劇場に出演している女優らしい」と一一〇番があった。
友人に午後に自首するので同行して欲しいと頼んでいた事から、菊さん殺害の重要参考人として警察は藤沢の行方を追った。
同署は同日午後一時三十五分ごろ、小田原市早川の箱根ターンパイク有料道路内の自分の運転する乗用車を橋の欄干に二度をぶつけ、右足骨折など四ヶ月の重症を負って同市内の病院に収容されている藤沢を発見した。
調べに対し藤沢は「自殺しようと思い、わざと橋に(車を)ぶつけた。」「自分(藤沢)は菊さんが好きで結婚したかった。しかし菊さんが他の男と交際しているため、注意したが聞かなかったので殺した」と話した。同署は回復を待って藤沢を殺人の疑いで逮捕する。
出典: livetests.info
犯人は交際相手の俳優『藤沢陽二郎』(当時23才)だった
菊容子は事件の1年前から藤沢陽二郎と交際していた。
殺害動機は一方的な嫉妬
菊さんと他の男性達との仕事上の親密な関係を浮気と勘違いした一方的な嫉妬により殺害したとのこと。
菊さんのマンションの近くにお寿司屋さんがあって、そこの女将さんが菊さんの相談相手になっていたようだ。
女将さんは藤沢の事も知っており、ちゃんと対応しないとあの男に殺されちゃうよ、と注意していたらしい。
殺害方法
殺害の動機は、菊容子さんに冷たくされ、よりを戻そうと菊容子の部屋を訪れたが、別れ話となったためだそう。そこで藤沢は激昂して両手で首を絞め、さらに電話線のコードで絞め殺したという。
『菊容子』出演代表作品
【映画】
・日本の青春(1968年6月8日、東京映画) - 向坂咲子
【TV】
・でっかい青春(1967年-1968年、NTV)第26話からレギュラー
・好き! すき!! 魔女先生(1971年-1972年、ABC、当時はTBS系 / 東映)主演
・銭形平次(1966年-1984年、CX / 東映)第330話、第383話
・プレイガール(1969年-1974年、12ch)第228回、第278回
・伝七捕物帳(NTV / ユニオン映画)第8話、第45話、第70話
・水戸黄門(TBS / 東映・C.A.L)第4部第10話、第5部第5話、第13話
・ご存知遠山の金さん (1973年-1974年、NET / 東映)第14話、第50話
・大江戸捜査網(12ch / 三船プロ)第141話、第157話
・大岡越前 (1974年)第4部 第10話
・必殺必中仕事屋稼業 第4話
【バラエティ】
・連想ゲーム (NHK)約1年間レギュラー出演