まるでフェルメールの絵画のような場面と静かで激しい情熱
15世紀オランダの画家フェルメールと、その家に使用人としてやってきた少女グリートが中心となったお話です。
グリートは色彩に敏感で、フェルメールの妻にアトリエの掃除を命じられた時も、「光が変わる」と気づいて指摘するほどです。グリートのその感覚に気づいたフェルメールは、絵具の助手をさせたり、最後には彼女をモデルに絵を描こうとします。
この作品では、グリートもフェルメールもお互いにほとんど言葉を交わしません。フェルメールが美しく着飾った妻に、「イヤリングをつけてちょうだい」と言われている時に、グリートは手を真っ赤に荒れさせながら、使用人として黙々と家事をしています。けれども、フェルメールの目線は、絵画を理解できない妻ではなく、すぐれた色彩感覚をもつグリートに向けられています。全編を通して、言葉のない一瞬の視線やしぐさで、二人だけで理解しあっているようなひそやかな空気が流れています。また、横柄なパトロンを招いての食事風景や、グリートの洗濯をする姿や、ゴミを運河に投げ捨てたり市場でさばいたばかりの食材を買ったりと、当時を思わせるどこか冷えびえとした画面も、まるで絵画のようです。
そしてクライマックスが、フェルメールの有名な作品である青いターバンを巻いた少女を描いた絵です。この映画ではグリートがモデルとなっていますが、髪を見せることを拒む彼女や、妻のものである真珠のイヤリングをつけさせるフェルメール、その時にグリートが流す透明な涙などがとてもきれいです。結局この時のモデルをしたことが原因となって、グリートはフェルメールの家から追い出されてしまいますが、映画の最後に映し出される本物のフェルメールの作品の少女が、ついさっき見た描かれている時の姿のグリートに見えてきてしまうのです。