ウルヴァリン: X-MEN ZERO

ウルヴァリン: X-MEN ZERO

『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』とは、2009年のアメリカのスーパーヒーロー映画。マーベル・コミックのキャラクター・ウルヴァリンをベースにしている。監督はギャヴィン・フッド、脚本はデイヴィッド・ベニオフとスキップ・ウッズ。主演はヒュー・ジャックマン。『X-MEN』シリーズの4作目で、ウルヴァリン三部作の第1作目。数多の戦争に身を投じてきたローガンは愛する女性と出会い、平穏な日々を過ごしていた。しかし、実の兄が恋人を殺害。復讐を誓ったローガンは巨大組織に人体改造手術を受けるが、そこには陰謀が隠されていた。

ウルヴァリン: X-MEN ZEROのレビュー・評価・感想

ウルヴァリン: X-MEN ZERO
9

フィクションを楽しむ労力

破壊不可能な架空の金属「アダマンチウム」。なんて中二病的な響きでしょう。
強すぎるスーパーヒーローのDCコミックに比べ、マーベル・コミックは少しというかかなり弱めです。弱くて、ある意味人間らしい。共感もしやすいのかもしれません。強いけど、強すぎない、人間らしさの中での強さ、等身大と言ったらいいでしょう。
そんなスーパーヒーローは、現代社会で生きるときのちょっとした希望であり、願望であり、夢です。
「アダマンチウム」の武器で戦う等身大のヒーローに、自分を重ね合わせ、現実と空想を言ったり来たり。
妙に中二心をくすぐります。
目線を変えれば、現実に打ちのめされる事柄、それをなんとかして論破しようと、頭を捻るが、論破してもしてもいっこうに現実は変わらない。世の中、そんなに甘くないんだなと思います。
今、必要なのは中学生的なちょっとした空想なのではないかと思います。
フィクションがつまらない物足りないとは言っても、エセだとかヤラセだとか。もう楽しむ気分がないのではないでしょうか。それを言われて、萎縮してく作ったものが面白くないのは、もはや悪循環です。
今一度、フィクションの世界に飛び込める余裕と、労力が必要なのではないかなと思うのです。
ギスギスした時代に、フィクションというクッションを入れて、ゆったり生きていたいものです。