コラテラル

コラテラル

『コラテラル』(原題:Collateral)は、アメリカのサスペンス映画である。監督はマイケル・マン、出演はトム・クルーズ、ジェイミー・フォックスなど。時間ピッタリに到着する有能なタクシードライバーのマックス・ドローチャーは、殺し屋ヴィンセントに目をつけられ、犯行に巻き込まれてしまう。 トム・クルーズが初の本格的な悪役に挑戦したことで話題になった。

コラテラルのレビュー・評価・感想

コラテラル
7

映画「コラテラル」の考察

いきなり緊迫感のある派手なアクション・シーンで始まることが多いのがこの手の映画だが、この映画は全く違う。冒頭の件で分かるのは、タクシードライバーのマックスが想像力豊かな頭のいい、そして、何より人のことを気遣うとても優しい人間だということだ。彼のタクシーに乗った検事のアニーはその短い時間の間に彼の人間性を理解した。アニーはタクシーを降りた後、もう1度マックスと会いたくなり、同じように彼女に好感を持ちながら突っ込んだアプローチが出来なかったことを悔いている彼に、自分の名刺を渡すのだ。
ヴィンセントは殺し屋で、約束した仕事の完遂に強く拘り、機械のようにそれをこなす。彼がまるで人の心がないように振る舞うのは、彼の話から推測すると、幼少からの家庭環境にありそうだ。また、刑事の言う類似の事件が彼の仕業だとすると、ヴィンセントは、マックスに何人かの標的の居場所まで運転させ、最後にはマックスを殺して、彼の仕事の犯人に仕立てるつもりだったのだろう。しかし、ふたつの計算違いが起こる。ひとつは、最初の仕事が早々にマックスにばれてしまうこと。もうひとつは、彼がマックスと心を通わせてしまうことだろう。例えば、ヴィンセントはマックスにその生き方が臆病すぎることを指摘する。ヴィンセントが純粋な殺人マシンであれば、そんな情報は邪魔だし、こんな会話は必要ない。しかし、ヴィンセントはマックスに心を通わせ、彼はマックスのことを知りすぎた。
ヴィンセントがアニーに銃口を向けたとき、マックスもヴィンセントに銃口を向けた。ヴィンセントはマックスに「そんなものどうする気だ。」と言った。殺人マシンなら喋る前に素早く動いてマックスの狙いを外し彼を撃っただろう。地下鉄のシーンでも、そうだ。至近距離での真正面からの撃ち合い。2mmの誤差で的を連射で打ち抜けるヴィンセントが狙いを外すのはおかしい。彼はわざと扉の金属部分を撃った。彼はマックスを殺せなかったのだ。更に、踏み込むならば、この地下鉄でマックスに殺されることを望んだのかも知れない。ヴィンセントは最初の仕事の前に、マックスに、地下鉄で死んだ男が何時間も誰にも気づかれなかった話をした。最後のシーンでは、そのヴィンセントがその地下鉄の男と同じになったように見えた。だが、考えてみれば、ヴィンセントが死んだことはマックスが知っている。ヴィンセントはそういう死を望んだのではないだろうか。ヴィンセントが銃のマガジンを代えようとして失敗したのも演技なのかも知れない。マックスはそれを見てヴィンセントは最後までマックス殺そうとしていたと思うだろうから。マックスがそう思うことで彼の罪悪感が少し軽くなるだろうから。ヴィンセントは人を思いやれる「人間」に戻れたのかも知れない。しかし、ヴィンセントの死を見届けたマックスには高揚感も、ほっとした様子もなく、人を殺してしまった深い後悔のようなものが見えた。印象的なシーンだった。