マカロンムーン

マカロンムーンのレビュー・評価・感想

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マカロンムーン
10

双子ではないことをなぜ人は不思議に思わないのか

川原由美子の可愛く美しい少女たちが織り成すこの話は思った以上に重く、解釈の難しいテーマを含んでいる。
それは端的に言えば”なぜ人は皆双子として生まれてこないのか?”である。
双子であることが珍しいということの方が異常であり人は皆双子として誕生するのが当然ではなかったのかという問いかけは心を妙に落ち着かなくさせる。
なぜならば生まれてこなかったその双子の片割れはどこにいるのかといえば、時間の流れの止まったカプセルに閉じ込められているからである。
そんなことは単なる戯言といえばそれまでであるが一つ思い当たる点では脳というのがその片割れの住処なのではないだろうか。
この話では元気な女の子「みたらし」の前に自分にそっくりだけどおしとやかな「きなこ」という女の子が現れるところから始まる。
彼女たちは「みたらし」の所属する製菓部の作ったマカロンムーン破壊事件を解決するため探偵と依頼人という関係から付き合い始める。
それはあっという間にいつも一緒の親友のようになり段々とお転婆な「みたらし」が「きなこ」に似てきてしまいお互いそっくりの双子のようになってしまう。
マカロンムーン破壊事件はすぐに解決するものの本当の謎はそこではなく「みたらし」と「きなこ」の関係にあり、
それを水に閉じ込められた人魚探偵や本当の双子の製菓部部長達が追及する。
段々と似すぎてしまった「みたらし」と「きなこ」には切ない結末が待っている。
首のない人形に目の閉じた頭を付けて自分そっくりにした後「きなこ」は時間の止まるカプセルに一人乗り込むのである。
「きなこ」にとってそれは当然のやり方であったが「みたらし」にとっては受け入れられない感覚であった。
しかし、”本当の双子”の部長達のやり方を聞くと”双子ではない人”というのは生まれてくる前にこういう自己イメージの処理をしてきてしまっているのではないだろうかと感じてしまう。
部長達は同じ状態になったものの二人ともカプセルには入らないという決断をして逃げたのであった。
そして双子として生まれた後別の人間へと変わっていくのである。
理想の自分との永遠の一体感を求めるのかお互い分離した状態でたまに変化と向き合うのが良いのかそれは人それぞれの好みの問題とも言える。
「みたらし」はその後「きなこ」としての自分も一緒にいるとして生きていくのであるが、
もしカプセルには入らずにお互いが分離し変化することを受け入れていられたならば、
彼女たちもたくさんの”双子ではない”人達も双子になれていたのであろうかと思うと何度も読みたくなる作品なのである。