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音楽で映像の限界を超える執念の地獄太夫
メラニー・マルティネスは非常にMVに凝るミュージシャンである。
それは彼女が2作目のフルアルバムに自分が主演する映画をMVとして付けて送り出したことからも良くわかる。
彼女の中では音楽のイメージの解釈を聴き手に任せるという感覚はなく、音楽は圧倒的な自分のイメージを相手に伝えるきっかけにすぎない。
音楽として表現された後も具体的な映像化は当然彼女自身の手ですべきことなのだろう。
彼女のセルフイメージである”CRYBABY 泣き虫っこ”は、
毒薬を砂糖菓子で覆い隠したような世界でひどい目に合い続ける恨み節のように歌いながらも、その世界を愛したい気持ちも感じられる。
ここに彼女が映像を自分でつけたがる意味があり、
一歩解釈を間違えば重く苦しいイメージへと落ちかねない心の声を美しい映像へと誘導することによりその痛みを中和しようとしているのだろう。
若い新進のミュージシャンが音でその感性を伝えるだけでなく、
そこからの具体的な映像イメージまで切れ目のない映画のようなスタイルで提案できるようになったというのは革新的なことである。
それは映像の限界に音が追従するのではなく音が限界を超えた映像を作り采配する力を得てきたという従来の立場の逆転を意味するからである。
メラニー・マルティネスは無声映画が音楽と声を手に入れ有声映画へと変化したときや、
80年代にMTVにより音楽とミュージシャンの映像が一体化したとき以上の時代の大きな変化を感じさせるアーティストなのである。