きみが死んだあとで

きみが死んだあとでのレビュー・評価・感想

きみが死んだあとで
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戦後日本学生運動の端緒となる事件の渦中で落命した若者の事後談を語りで掬い取った『きみが死んだあとで』

1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件でした。はじめてヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突。そのなかで1人の若者が殺されました。山崎博昭、18歳。機動隊に頭部を乱打されたためか、装甲車に轢かれたためか、死因は諸説あるが、彼の死は同世代の若者に大きな衝撃を与えたことは疑いありません。
あれから約半世紀。死亡した山崎博昭の高校の同級生たちや当時の運動の中心だった者たちは齢を重ね、山崎だけが18歳のままです。生き残った総勢14人が語り継ぐのは美しく輝く青春とその後の悔恨。闘争の勢いとその衰退も振り返りながら、さまざまな記憶と感情が交錯します。青春だけが武器だった、あの「異常に発熱した時代」は何だったのか。「きみの死」はまだ終わっていない。半世紀を経てもなお、その宿題は続いているのです。
3時間20分の大長編にまとめきった代島治彦監督は、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』に続いて「異常に発熱した時代」に3度組み合いました。インタビュー中心のストイックな構成は、“歴史と記憶のはざま”を浮き彫りにし、ナラティブ(語り)によって織り上げられたタペストリーのようだ。音楽・大友良英が作曲したフリージャズをベースにしたアナーキーな主題曲が重なり、時代の狂気と美しい記憶が混然一体となって押し寄せてきます。代島も大友も学生運動が熱を失った後の「しらけ世代」。権力と闘い、革命を叫んだ「全共闘世代」への愛憎を忍ばせながら、 彼らの歴史的功罪を問う重厚なドキュメンタリーが誕生しました。