静かな雨

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静かな雨
8

才能あふれる若き映画監督が手がける「ループもの」

大学の助手を務める行助は、たい焼き屋を営むこよみと親しくなるが、二人の関係が進展しようとした矢先、こよみは事故に遭う。事故の後遺症で、一日ごとに記憶がリセットされてしまうこよみに、行助は下宿の一室を提供する。穏やかで、幸福な二人暮らしが始まるが、朝が来ると、こよみの記憶は巻き戻ってしまい、行助はそのことにやりきれなさを覚える。行助は、ブロッコリーが嫌いなのだが、こよみが行助のために作る晩ごはんには、必ずブロッコリーが入っている。ある晩、行助はついに「ぼくはブロッコリーなんか大嫌いだって言っているじゃないか」と叫び、こよみは家を出ていく。一人残された行助は、台所に遺されたメモを見つける。そこには「ゆきさん ブロッコリーきらい」と書かれていた。
何でも忘れてしまうこよみが、それでも行助との日々を大切に思っていたことが伝わる場面だが、メモが台所に広げたノートに挟まれていたということは、こよみは料理を作るとき、メモを見ていたことになる。こよみは行助に好き嫌いを克服させるため、あえてブロッコリーを食卓に並べ続けていたのだ。

この作品は一種の「ループもの」だと言える。行助とこよみの関係が進展しない原因は、こよみの記憶が失われてしまうからであるが、本当の原因はブロッコリーを食べられない行助の幼児性にある。つまり、この作品のメッセージは「好きな人と結ばれるためには、幼児性を克服しなければならない」ということだろう。

中川龍太郎監督は、行助を「自分自身への信頼のなさ、どこか欠落感や不全感を覚えながら生きている」「僕らの世代の象徴」であると語っている(映画パンフレットより)。片足をひきずりながら多摩川沿いの起伏の多い街を歩く行助の姿は、「僕らの世代」の一人である私に、どこか直視できないような、いたたまれなさを感じさせた。
映画は、行助が自らの抱える課題に誠実に向き合うところで終わっており、根本的な解決が示されるわけではない。見終わった直後は、やや心もとない印象を持った。しかし、しばらく経ってから思い返すと、中川監督は行助という登場人物へのゆるぎない信頼があるからこそ、彼が悪い足をひきずって歩くシーンをあれほどまでに、克明に撮ることができたのだと思う。行助に、どっぷり感情移入していた時には見えなかった、温かなまなざしを再確認するために、機会があればもう一度見返したい映画である。