愛という名の猛毒 ポール・トーマス・アンダーソン監督「ファントム・スレッド」
服作りに没頭する神経質で完全主義のデザイナー、レイノルズ。彼は毎日決められた通りのルーチンを繰り返す生活を頑なに守っており、集中を乱すものは恋人であっても容赦無く追放する。その上面倒なことは店の経営から人付き合い、果ては別れ話まで姉のシリルに任せきりという自己中心的な人物。
そんな彼がひょんなことから出会ったのがアルマ。レイノルズにとって完璧なプロポーションを持つが自由奔放で、レイノルズとは対照的な人物である。
ある日、レイノルズが丹精込めたドレスを着た客が結婚式で酔いつぶれて寝てしまう。アルマはレイノルズが服にかける情熱を知っているので、「彼女にあなたの服を着る資格はない」と涙ながらに憤慨する。そんなアルマの姿を見てレイノルズは心を許すが、神経質で自己中心的な性格は変わらず、アルマもレイノルズの支配を甘んじて受けるつもりはない。衝突を繰り返す関係に不満を募らせ、アルマはある日紅茶に毒キノコを混入する……。
本作は1950年代のイギリスファッション業界を舞台にしているが、主題はファッションではなく、自己中心的な愛情が人を支配していく過程にある。煌びやかなようではあるが、実際にはサスペンスホラーのような作品だ。見所は、レイノルズとアルマの力関係が徐々に入れ替わっていき、終盤では完全に逆転するところ。その鍵となるシーンはいずれもレイノルズが疲労や毒の影響で無力に横たわっている場面だ。
クライマックスであるオムレツを食べるシーンではアルマを思い通りに動かせる「マネキン」程度にしか見ていなかったレイノルズを、毒を盛って強制的にアルマに頼らざるを得ない存在にしようとする狂気が支配し、レイノルズがそれを受け入れるという衝撃的な展開を描いている。
レイノルズが嫌いと言っていたバターを大量に入れた毒キノコ入りオムレツ。料理のシーンから、二人の目線のやり取りの捉え方、咀嚼音、何かを悟ったような微笑みまで、圧倒的な引力を持って観客を巻き込んでいく。
特に、頑なに自分の殻にこもり人を受け入れることを拒んでいたレイノルズの微笑みは、ぞっとするほど明るく、優しく、吹っ切れている。
執着してやまないドレスをきっかけに、レイノルズはアルマに単なるモデル以上の愛着を持つようになる。同じように「譲れない生きがい」を受け入れることが、彼らにとっての愛だということなのだろうか。自分を犠牲にしてもいいとすら思えるような愛、羨ましいような、要らないような。