主人公の熱意
近年になって多少の劣化は認められるものの、長年マガジンの屋台骨を支え続けているだけのことはある、少年誌にふさわしい極めて良質なスポーツマンガであると思います。
この作品を見ていると、まず練習のシーンの充実に目がいきます。
その練習のシーンも、必殺技の修得のような画面栄えする派手なものは少なく、日々の練習の反復であったり、減量シーンであったり、はっきりいって地味なものばかりです。しかし、その地道な反復作業の「積み重ね」があるからこそ、一歩を初めとするこの作品のボクサーの背中には体の厚みだけではなく、スポーツマンとして引いては一人の人間としての厚みがあります。
「積み重ね」この作品を語る上で欠かせないキーワードではないでしょうか。鮮烈なセリフや描写でキャラ付けを行っていく「グラップラー刃牙」の対極にある作品だと思います。その性質上、掘り進めるキャラは後者に比べると限られてきますが、ちょっとやそっとの揺らぎには動じない芯の強さがこの作品にはあります。
もちろん練習は勝つ為にやるものなのでしょうが、この作品の登場人物達は勝利は最終目的ではなく、勝利の先にあるものを追い求めている様にも感じられます。例えば、自分の正しさの証明であったり、疑問の答え探しであったり、支えてくれる人たちへの恩返しであったり。そして、そんな「濃い」キャラクター達がぶつかるから、この作品の試合は熱く感動するし、登場するボクサーが偶に見せる超人的な粘りや火事場の馬鹿力にも説得力があるんだと思います。彼らにとって試合の勝敗は、単に勝った負けたというだけではないのでしょう。
この作品を見ていると、作者は本当にボクシングが好きなんだなーとしみじみと感じられます。それは、一歩達の対戦相手の描き方に色濃く描かれています。この作品の対戦相手たちの中で、一歩たちの強さや正しさを証明する為の的にされてしまったボクサーは一人もいません。どの対戦相手も一歩たちがそうである様に、きちんとした信念や考え方を持った一人のボクサーというような描き方をされています。もちろんその考え方は様々あって、ヒールのようなボクサーも存在します。しかし、ただ倒される為だけに存在する空っぽの対戦相手というのは皆無といってもいいでしょう。これは作者自身のボクシングという競技そのものやボクサーといった人間に対する誠意そのものだと思います。一見当たり前であるけれど、それが出来ていないスポーツ漫画が世の中にどれだけあるか…。
ただ、板垣の描き方はもう少し考慮の余地があると思います。彼のように1の練習から10の成果を得ることが出来る天才タイプのボクサーは、鴨川ジムには明らかに合っていません。前述の通り、練習で培ったものを試合で出すことによって、試合内容に説得力を生み出していたのに、板垣がやっていることは明らかに練習でやっている以上のものです。だから、板垣の超人技は「日々の練習の賜物」ではなく「過剰な主人公補正(鴨川ジム補正)の結果」という風に映ってしまうのだと思います。最近の一歩や宮田なんかにもこの傾向はついて回っていますが、板垣のそれは特に顕著だと思います。
この作品がボクシングに与えた影響は決して小さくはないでしょう。実際にやるやらないは別にしても、この作品でボクシングに興味を持った人は少なくないと思います。その一点だけでも、この作品は後世に残していくべきスポーツ漫画の金字塔といって差し支えない作品です。