ハクソー・リッジ

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ハクソー・リッジ
9

決して殺さず、必ず生かす。一人の男の信念と勇気の物語

【概要】
俳優のメル・ギブソンが監督を務めた戦争映画。
太平洋戦争中の沖縄で、多くの人命を救った衛生兵デズモンド・T・ドスの実話を描いた今作は、あのスティーブン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」の冒頭シーンで、「映画史に残る戦闘シーン」とまで言われた「ノルマンディー上陸作戦」と同じか、それ以上の衝撃を与えるほどの、生々しいリアルな戦闘描写が描かれている。
メル・ギブソン自身、ベトナム戦争を描いた「ワンス・アンド・フォーエバー」で主演を務めていたので、戦争映画のノウハウと強いこだわりを持っているだろうし、監督としてイエス・キリストの最後を描いた「パッション」で空前の大ヒットと世間への衝撃を与えたこともあって、私自身としては彼の描く戦争映画には、見る前から大きな期待を寄せていた。
だが戦争映画として作品を見ようとした私にとって、凄惨な戦闘描写以上に、この映画に含まれた強いメッセージに衝撃を受けることになった。
激しい戦闘シーンが戦争映画の醍醐味であるのに対し、今作の主人公は衛生兵にして銃を持たない上に、終始誰一人として敵を殺さない。
戦争映画としてはある意味異色であるものの、この映画の凄いところは単に殺戮を映していくだけではなく、戦争という命の奪い合いの中で敵味方問わず命を救い続ける主人公の「闘い」を描くことでも、戦争映画として成り立たせている部分だ。
ただ人を撃ったり撃たれたりするシーンを映すのが戦争映画ではなく、危険を顧みずに命を救う男の姿を描く戦争映画があってもいいという衝撃を与えてくれた今作について、私なりのレビューを行っていきたい。

【ストーリー】
アメリカのヴァージニア州の自然豊かな町で生まれたデズモンド。彼は共に山を駆け巡って遊ぶ兄、第一次大戦に参戦して心に傷を負った父、その父の暴力に毎晩苦しむ母と暮らしていた。
ある日、デズモンドは兄弟喧嘩で危うく兄の命を奪いそうになり、その出来事を機に彼はモーセの十戒「汝、殺すことなかれ」の教えを生涯守ることを誓った。
それから月日が経ち、青年となったデズモンドは、敬虔なセブンスデー・アベンチスト信者として教会に通う日々を送っていた。
その日もデズモンドは教会の手伝いをしていたが、外で一人の男性が事故に遭って大怪我をしているところを目撃し、応急処置を施して病院に連れて行った。その病院で彼は献血を担当していた看護師のドロシーと運命的な出会いを果たし、それ以降も病院に通って彼女をデートに誘うようになり、やがて彼女にプロポーズをした。
一方、第二次世界大戦は激化の一途を辿り、ついにデズモンドの兄も軍に志願。デズモンドもまた、衛生兵として多くの命を救おうと陸軍に志願することになった。
ブートキャンプで出会ったハウエル軍曹の厳しい訓練に仲間たちと耐えていくデズモンドだったが、射撃訓練の際に「信念ゆえに銃を持てない」という、兵士にとっては致命的な問題を抱えていることが発覚する。
上官であるクローヴァー大尉からも「良心的兵役拒否者」の烙印を押されたデズモンドは問題児として扱われるようになり、軍上層部を上げての陰湿な嫌がらせを受けることになる。
仲間たちからも暴力を伴ういじめを受けるが、デズモンドはそれでも挫けず、「人は殺さない」という信念を曲げることなく、軍隊での日々を送り続けた。しかし、休暇を利用してドロシーと結婚式を上げようとしていたデズモンドは、軍上層部から、ライフルの訓練を受けていないために休暇は許可できないと言われる。
さらに命令拒否をしたとして軍法会議にかけられることになり、デズモンドはドロシーとの結婚式に出席できなかった。
事の顛末を知った知ったドロシーは、デズモンドを助けるために、元軍人であるデズモンドの父に助けを求める。
軍法会議で窮地に陥るデズモンドだったが、最後の最後で父の助けを得ることができ、銃を持たずに出兵するというデズモンドの主張は受け入れられることになった。
そして1945年5月。デズモンドは衛生兵として沖縄に上陸する。
彼の部隊は激戦地として知られる「ハクソー・リッジ」に向かうことになり、そこに陣地を構える日本軍を退ける任務に就く。
激しい戦闘の末、一時は日本軍を撃退したものの、再び猛反撃を受けて部隊は撤退。
その中で友人を亡くしたデズモンドは悲しみに暮れて立ちつくすが、その時、助けを求める取り残された仲間たちの声が聞こえてくる。
その声を聞いた彼は意を決して、一人戦場に戻り、取り残された仲間たちの命を救うべく、孤独な戦いを始めるのだった。

【リアルな戦闘】
映画のタイトルである「ハクソー・リッジ」とは、沖縄の「前田高原」と呼ばれた日本軍陣地のことであり、北側がまるで弓鋸のような切り立った崖であったことから、アメリカ側がそう名付けていた。
私を含め、映画を見てこの戦いのことを初めて知ったという日本人も多いことだろう。

登場する兵士の一人が、「6回登って6回撃退された」という台詞を放ったように、映画ではとにかく凄まじい攻防が繰り広げられていき、その中でアメリカ兵が日本兵に対して並みならぬ恐怖を抱いていくシーンも見受けられた。
舞台となる戦場は、アメリカの戦艦による激しい艦砲射撃によって完全に破壊しつくされ、まさに「地獄とはこういうものか」と思わせるほどに荒廃している。
にも関わらず、日本軍は広大な地下陣地に隠れてそれをやり過ごし、ゲリラ戦術や人海戦術を駆使してアメリカ軍を追い詰めていくのだ。
ある程度の脚色はあるとは思うが、それでも後半のアメリカ軍を撃退しようと押し寄せる日本軍の突撃シーンには鬼気迫るものを感じたし、同じ日本人でも恐怖を抱いてしまった。

【デズモンドの信念】
そんな戦闘描写もさることながら、今作はそれ以上に、宗教的なメッセージと家族愛、そして信念を抱くことの尊さと苦難も描かれている。
主人公のデズモンドは敬虔なプロテスタントのキリスト教徒であり、幼少期から父であるトーマスの暴力に悩まされる家庭環境で過ごしてきた。そんなトーマスもまた第一次大戦に従軍したことで精神を病んでおり、母親のバーサが言った「父さんは自分が嫌いなの」という台詞からも、トーマスは自分が生きていることを許せず、何故自分だけが生き残ったのかがわからないことに苦しんでいるかのように描かれている。
映画の後半で、デズモンドが銃を持たない理由が単にモーセの十戒を守るためではなく、その父の暴力も関係していることがわかるのだが、それがわかるまでは見る人によってはデズモンドが単なる理想主義者のように映るかもしれない。
戦争とは人が人を殺す行為を正当化されたものであり、デズモンドが信奉する宗教観とは相いれないものである。
それでも従軍しようとするデズモンドの行為は矛盾しているし、そんな彼に対して嫌悪感を抱く人もいることだろう。
しかし、デズモンドは単に理想を掲げて戦争の現実を直視していない人間ではなく、彼なりの信念があってのことだった。
軍法会議にかけられることになったデズモンドが独房の中でドロシーと面会するシーンで、彼は「信念を曲げたら生きていけない」という台詞を吐く。彼にとっては信念こそが自分自身であり、ドロシーはそんなデズモンドの信念に惚れていたことに気づく。
彼にとって銃を持たないことが重要なのではなく、戦争という命の奪い合いの中で、自分だけは命を救う立場でありたいという思いこそが、デズモンドにとって重要だったのだ。
そしてデズモンドの信念が単に人を殺めたくないという思いだけではないことが、映画の後半ではっきりとわかることになる。

【殺戮の中での人命救助】
ハクソー・リッジで、日本軍の容赦ない攻撃が続く中、デズモンドは丸腰で弾丸飛び交う中を進み、負傷した仲間たちを救助していく。その姿はそれまでいじめられていた気の弱い理想主義者のデズモンドではなく、何が何でも救ってみせるという強固な決意を胸にしたデズモンドだ。
日本軍の熾烈な反撃の後、デズモンドはせっかく打ち解けることができた仲間のスミティを亡くし、神に「自分に何をしろというのか?」と問いかける。絶望するデズモンドだが、彼の背後で助けを求める声が響き渡った時、デズモンドは自分の使命を理解する。
そこから彼は、たった一人で日本兵がうろつく陣地を隠れながら進み、負傷した味方を救い続けるのだ。疲れ果て、ボロボロになりながらも、彼は「あと一人だけ、助けさせてください」と祈りながら、まるで憑りつかれたかのように、味方だけでなく傷ついた日本兵までも夜通し救い続けた。
それまでデズモンドを認めていなかったクローヴァーやハウエル、そして仲間たちは、デズモンドの並みならぬ勇気とその行動に、心を打たれて謝罪する。
ここまでの展開を経て、デズモンドという男がしてきた行為と彼の信念が、並の人間では決してやり遂げられない尊いものであることが、はっきりとわかる。
ラストでデズモンドが担架に吊り下げられて運ばれる描写は、神々しさ以上に、彼が聖人として神に認められたかのような印象を抱かせた。
ここにきてようやく、デズモンドの魂が安らぎを許されたかのように。

【最後に】
これは実話を基にした映画である。
本当に丸腰で戦場に赴き、自身の命を顧みずに敵味方問わず大勢の命を救った人間がかつて実在したのだ。
一人の男の並みならぬ信念と勇気、そして戦争の地獄とそこで繰り広げられた命を巡る一つの物語。
デズモンドは自分の信念をただ抱き続けるだけでなく、実際に行動に移し、その結果、誰も成しえなかった偉業を達成した。
彼の行動は、我々に一つの言葉を投げかけてくる。

人間の本質は、最後まで見届けなければわからない、と。

一人の映画ファンとして、この異色の戦争映画を多くの人に見てもらいたいと思っている。