CASIOPEA 3rd

CASIOPEA 3rd

「CASIOPEA 3rd」(カシオペア・サード)とは、日本のフュージョン・バンド。1977年に「カシオペア」(Casiopea)として結成、1979年にデビュー。その後は作品制作やライブをほぼ毎年続けてきたが、2006年に活動を一旦休止。2012年に「CASIOPEA 3rd」の名義で活動を再開し、2022年7月からは「CASIOPEA-P4」(カシオペア・ピーフォー)に名義に変更している。

haruseのレビュー・評価・感想

CASIOPEA 3rd
8

世界に名を轟かせたフュージョン・バンド

1977年結成、当時のパーソネルは野呂一生(g)向谷実(key)櫻井哲夫(b)佐々木隆(ds)、あのサザンオールスターズと共にコンテストで入賞。’79年、アルバム『CASIOPEA』でデビュー。セカンド・アルバム『スーパー・フライト』でドラムの佐々木が脱退します。後任には櫻井と同じ大学に通う神保彰が加入。ここで鉄壁のメンバー構成に。特に神保初参加でいきなりのライブ盤『サンダー・ライヴ』は海外のミュージシャンの絶賛を得ます。たしかにこのライヴ盤、若さ溢れるエネルギーが迸っていて今聴いても、あまり古さを感じさせない出来です。通算4枚目の『メイク・アップ・シティー』ではメンバー全員のオリジナルで構成された作品。そしてデビュー2年にしてハービー・メイスン、プロデュースによるL.A.レコーディング『アイズ・オブ・ザ・マインド』を発表、海外のミュージシャンとの共演を果たします。同年アルバム『クロス・ポイント』ではハービーをコ・プロデュースに迎え、同アルバムでは「スウェアー」「ドミノ・ライン」「ギャラクティック・ファンク」など今でもライヴのレパートリーになる曲もあります。そして’82年ライヴを録音しそこにスタジオ・ワークを加えるというアルバム『ミント・ジャムス』で人気を不動のものとします。同年アルバム『フォー・バイ・フォー』をリリース。このアルバムはリー・リトナーグループとの共演アルバムであり、なんとノー・リハーサル、1日でのレコーディングという悪条件にも拘らず各人の個性がぶつかりあった作品となりました。その後も『フォトグラフス』、ロンドン録音の『ジャイヴ・ジャイヴ』とヒット・アルバムを制作しますが’89年に櫻井・神保が脱退、後任に鳴瀬喜博(b)日山正明(ds)が参加。90年代のカシオペアを代表する『フル・カラーズ』(’91年)を発表しますが’92年に体調不良により日山が脱退、熊谷徳明が加入するが’96年に脱退。ここで元メンバーの神保がサポートとして参加するのですが2006年に野呂一生がカシオペアの活動停止を表明します。この間デビュー以来のメンバー向谷実がグループを離れます。そして2012年にキイボードにオルガニストである大高清美を迎え『カシオペア3rd』としてリスタート。