容易に解明できないオチをぶち込んでくる考察系映画
子供を早くに亡くした羊飼いのマリアとインクヴァルの夫婦が飼育している羊の家畜から生まれた、半分羊で半分人間の「アダ」。
終始不穏な空気一色の広大なアイスランドの山の中で暮らす家族の生活を眺める一作だ。映画終盤でアダと同じ羊頭で、首から下が全裸の人間の男が現れてインクヴァルが殺されて、本当の父親らしき羊男にアダは連れていかれた。冒頭の吹雪の夜の中、羊小屋に侵入して雌羊を妊娠させたのはこいつだろうと確信が持てる。その後、マリアが助けに行く描写もなく、エンドクレジットに入った。「え、終わり!?」と、当時、劇場で本当に声を出してしまった。この映画はどういったものであるかを見た人たちが考察して楽しむ系統の作品なのだろうけれども、説明のない唐突な展開と終わらせ方がショッキングで、胸の中でモヤモヤができた。
しかし、時間がたって今思うと、この映画のオチに対して違う考えが浮かんできた。町などの集団の人間社会から隔離された山中で生活しているとはいえ、アダはマリアたち人間と同じ生活をさせていてよかったのだろうか?
インクヴァルの弟ペートゥルは、あれはなんだとアダに訝しげな眼差しを向けてきた。弟はじきにアダと仲良くなったけれども、もし、山にやってきたのが弟じゃなくて登山や観光をしに来た赤の他人の集団だったら、アダの気持ちを考えない言動を平気でとられて踏みにじられていたかもしれない。そうなったら羊男の犠牲者がインクヴァルだけでないうえに地獄絵図になっていたとも考えられる。言い方が悪いのは承知の上だけど、普通から大きくかけ離れた存在を奇異の眼で見る人間のそばにいるよりも、アダは、同族の父親といっしょにいたほうが良いのかもしれない。