歌唱力、ピアノ、ルックス、オーラすべて完璧なのに、なぜかあふれ出る国民の弟感
藤井風の才能を言葉にする時に、多くの人が使う表現がある。
「宇多田ヒカルの再来、いやそれ以上だ」
まさに、その通りである。彼の、歌唱力、表現力そしてピアノの演奏技術にいたるまで、神はいくつの才能を与えたのか。
YouTubeには彼が10代だったころのピアノ演奏などもUPされており、10代とは思えない演奏技術と切なさには、言葉を失うほどである。
また、コロナ禍で無観客開催になってしまった、2021年に日産スタジアムで行われたLIVEがあるが、これがなんとグランドピアノと藤井風の歌のみで構成されているのだ。
ここは、本当にスタジアムなのか?空の上とか、海に浮かんでいるのではないのか?と錯覚するほどに、藤井風の世界観が堪能できる。
当初は有観客の予定のLIVEだったが、感染拡大のため無観客になったが、観客がいないことさえも、演出に感じるほどである。
さらに魅力的なのは、ここまで非の打ち所がないと、さぞかしトークもかっこいいのだろうと普段の話声を聞くと、「あれ?なんかちょっとたどたどしくないか」と皆が少し感じるところである。
なぜかあふれる、決してダサくないけれど、少し田舎っぽいしゃべり方。それでいて英語はペラペラ。
どこか、お菓子をあげたくなってしまうような、今日忘れ物してない?と声をかけてしまいたくなるような、末っ子の弟感。
これでは、魅了されるのは当然である。
まさに、「風」のような、それでいて旋風ではない彼に、どうかこのままの生き方でいてほしいと願わずにはいられないのである。