浜田省吾 / 浜省 / ハマショー

浜田省吾 / 浜省 / ハマショー

浜田省吾とは、1952年広島県出身のシンガーソングライター。愛称は「浜省」「ハマショー」。
1975年、ロックバンド「愛奴」のメンバーとしてデビューし、1976年にシングル「路地裏の少年」アルバム『生まれたところを遠く離れて』でソロデビューした。
サングラスがトレードマーク。アーティストはライブやCDで成立しなければならないというこだわりを持っており、メディア露出は少ない。日本語のロックにこだわった楽曲は以降のアーティストに大きな影響を与えた。彼の父親の被爆体験から、戦争を歌った楽曲も多い。

MiyukiIgarashi_artmovie4のレビュー・評価・感想

浜田省吾 / 浜省 / ハマショー
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Backstreet Little Boy(路地裏の少年)

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分17秒、人類史上初の、原子爆弾が投下される。
アメリカ合衆国は、マンハッタン計画を実行すべく、初開発に成功した原子爆弾(Little Boy)を搭載したB29爆撃機(エラノゲイ)で、広島中心地の高度9600mにて投下。
その43秒後、地上600メートルの上空で灼熱の火球となり、炸裂。
火球の中心温度は、摂氏100万度を超え、1秒後には半径200メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は、3,000~4,000度にも達する。
当時の、広島の人口は35万人とされていたが、この脅威により約13万人が犠牲になったとされる。
その日、浜田敏太は、警察官として広島県豊田郡大崎上島町にある、広島県警木江署に勤務していたが、
原爆投下直後に救援隊として地獄絵図の現地広島市に入り、2次被爆した。
浜田敏太とは、浜田省吾の父親である。
その7年後、浜田省吾は、広島県竹原市に1952年12月29日に、被爆2世として誕生する。
竹原市は、NHKの朝ドラでも話題となった、あのニッカウヰスキーの創設者「竹鶴正孝」の生家のある場所で、
昨今一躍有名になった、風光明媚な観光名所でもある。
さて、浜田省吾と言えば、2020年1月6日と7日に「40Th Anniversary On The Rodo 2022 at武道館」と題した2dayコンサートを開催し、
齢68歳という年齢を感じさせない圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、高く評価されたミュージシャンである。

彼は、多感な少年期を経て、1975年に同じ広島出身「吉田拓郎」のバックバンド「愛奴」のドラムスとして、プロデビューを果たすが、バンドとしての評価は低かった。
しかし、シンガーソングライターへの憧れを捨てきらず、1976年4月21日にファーストアルバム「生まれたところを遠く離れて」をリリース。
そのアルバムからシングルカットされた「路地裏の少年」でソロデビューを果たす。
この、路地裏の少年は、彼の少年期から青年期迄の、成長過程の心情を綴った、ストーリー系の楽曲である。
今も交友の深い「甲斐よしひろ」は、初めて路地裏の少年を耳にした際に「素晴らしい楽曲だ、凄い奴が現れた」と驚愕し、
ある音楽評論家は、メロディーメーカーとしての才能を感じたと言う。
それは、彼の楽曲に名曲が多いと言う事で、証明されているかと思うが、名曲の定義とは何だろうか?
名曲とは、ジャンルに拘らず、人の心に強く刻まれる曲かも知れない。
さて、浜田省吾の名曲と言っても数多くあるが、一貫したテーマは、「絶望」それに相反した「希望」だと感じる。
しかも、この絶望に関しては、深くエンドレスな表現が多い。
それは、人類史上初めて、出身地広島に原子爆弾が投下された現実と、それに遭遇した父の体験談から来るものではないだろうか?
しかしそれでも、彼は、身近な少年の心や、片想いの女性の切なさを表現し、伝える。
時に、真逆な世界の情勢をも叫ぶ。
そして、聞き手はその思いと情景を、自然に受け入れることが出来る。
思うに、浜田省吾は短期間で、今のミュージシャンとしての地位を築いた訳ではない。
ただ、ビートルズに憧れ、シンガーソングライターに成る為に、もがいてきたが、世間から受け入れられる事も無く、深い絶望の日々を生きながらえて来た。
そして、同じ広島出身の矢沢永吉のように「成功」したのではなく、自身で「成長」していったのだ。
つまり、ミュージシャンとしての人生よりも、絶望の中で生きて来た時間が長い。
それ故に、一庶民としての生き方そのものから、楽曲が生み出されている。
確かに、前述した、希望を訴える楽曲もあるが、それは、よくあるような「応援ソング」などではない。
希望と、絶望は陰陽であると、彼は伝えている。
誰しも、希望に満ち溢れた、幸せが永遠に続くことを願っている。
しかし、現実はどうだろうか?
戦争は絶えず、人々はマスメディアに情報操作され、未来に夢も希望もないではないか?
つまり、彼の楽曲は、それらの全ての要素を含めた、大きいイマジネーションが広がっているものの、その世界には、現実を網羅したリアルティが根付いているのだ。
そして、何時の時代においても、ファン達は、現実に押し潰されそうになった時、何故か彼の楽曲が胸にリフレインする。
その、余りにも切ない楽曲の数々は、ファンの心に寄り添い、ある種の「精神安定剤」的な効果がある。
それは、彼の楽曲が夢を追い求め、座絶を繰り返した人生体験から生み出される、「心の叫び」だからこそ、ファンは共感し絶賛するのだろう。
そして、その楽曲は間違いなく生きている。
時代が変わろうとも、人の心が変わろうとも、古さを感じる事無く、そして死に絶える事も無く、永遠に生き続けている。
故に、ファンの年代層も広い、親子二代とかのファンも多数いる。
無論、その系統はファンの中で永遠に続いていく事だろう。