UVERworld / ウーバーワールド / SOUND極ROAD

UVERworld(ウーバーワールド)とは、滋賀県草津市出身の6人組ロックバンドである。2000年に結成した際は、SOUND極ROAD(サウンドごくロード)というバンド名で8人組だった。2003年12月にギターの彰の提案で、「超える」の意味を持つドイツ語「über」と英語「over」、「世界」という意味の「world」を組み合わせ、「自分達の世界を超える」という造語のUVERworldに改名することとなった。2004年にたまたまライブを観に来ていたソニー・ミュージックレコーズ社長が、その場にいた2人の女子高生に当時売れていたORANGE RANGEと比較してどちらが良いか尋ねたところ、その2人が「絶対UVERworld!」と答えたことがUVERworldのメジャーデビューのきっかけとなる。しかし、Saxはロックバンドに相応しくないという会社の意向により、2005年のメジャーデビュー時は5人組ロックバンドで、Saxの誠果はサポートメンバーという事になっていた。コツコツと人気を集め、2010年には東京ドーム、2014年には京セラドームで公演。2014年にようやく誠果も正式メンバーとなり、更に勢いを増していく。ロックバンドでありながら男性ファンには恵まれなかったが、男祭りという男性限定のライブを300人キャパからスタートし、2017年にはさいたまスーパーアリーナ、2019年には東京ドームを男性ファンだけで満員にしてみせた。年々進化し続けている。

go-1105113620664622539171のレビュー・評価・感想

UVERworld / ウーバーワールド / SOUND極ROAD
9

UVERworldの曲は灼熱の魂と救済である。

この記事はUVERworldというロックバンドの良さについて語るものである。
よってUVERworldの歌詞やメンバーの人柄ついてネタバレがあることは前もってご理解いただきたい。
私が彼らを10段階評価するとすれば9段階の評価になってしまうのだが、
残りの1は音楽性という観点からテレビ出演を控えてしまった過去があるくらいなのだ。
これに関してはテレビ局との問題があったのではないかとまことしやかに噂されたことがあるが、これは全くの誤解で、
テレビという枠の中ではまだ自分達は最高のパフォーマンスを見せられないとTAKUYAが考えたためである。
UVERworldは日本人青年6人からなるユニットでありバンド名も〝自分達の世界を超える〟という意味が込められており、歌詞の内容・音楽性ともに多少破天荒な向きもある。
その為、聴く人を選ぶバンドなのではないかと私は評するのだが、彼らの紡ぎ出す音楽、そして主にボーカルのT
TAKUYAからなる歌詞は、確実に〝前を向く人〟の心を穿ち、そして、添う。
UVERworldを語る時、『ロックバンド』などいうジャンル分けがいささかもどかしくすら感ずるのだ。
彼らにはそのようなジャンルなど必要ない、あるのは燃え盛る想いだけ。
まるで灼熱のような炎の炉で穿たられ鍛えられた魂を思うのである。
それを思えば一時期音楽番組に出なかったことくらいはを得心が行くというものだ。
UVERworldのアルバムや曲について全体的として解説するならば、まるで灼熱のような炎の中で鍛えられた魂であると私は前述したが、
別の表現をするなら空から落ちて来た羽のような何かとも感じられるのだ。
そう感じた所以とも言える曲を二曲程ご紹介したい。
まず一曲目は『PRAYING LAN』という曲である。
これは端的に書いてしまうなら、「世の中には夢を持って生きている人間はいるが、その夢が努力で叶う人間と努力しても叶わない人間がおり、その両者は同じ世界で生きている」
という内容の曲である。
それは真理ではあるがとても切ない。
ある意味応援歌とも聴こえてしまう曲の中で、うっかり聴いているうちに、曲の一節である「僕は止まるのが本当は怖くて、何もかもが一緒に止まってしまいそうで、まだ終わらないでくれって祈るように走って」という部分の歌詞をまるで空からたまたま落ちてきた羽のように拾ってしまったのである。
その一節を繰り返し聴くためだけにリピート再生している内に、私は不遜にもこの曲の主題であるテーマに1つの回答を得た気すらしたのである。
成功という形の結果を得られるのであれば、おそらくそれは誰にとっても最高の結末なのだ。
しかし〝夢〟の結末は1つではないのではないのか。
何かを夢みて、それに向かってがむしゃらに没頭した、その行為もまた夢を叶えたと言えるのではないかと。
そしてその思いを深めてしまうのが、発表年月日は前後してしまうのだが、『在るべき形』という曲になる。
こちらはうっかり表面上だけ聴いてしまうと恋愛ソングのように捉えられかねない曲であるし、実際にその趣の曲であろう。
ただ、それだけで終わらせないというのがUVERworldといいうグループの魅力で、こちらも人という生き物が前を向いて生きて前に進んでゆくために書かれた歌詞とも取れて、しっかりと〝添う〟のである。
こちらの曲でとても印象的な一節は「もし今空から思い出が降って来たなら僕は悔しさで溺れてしまう」という部分ではないだろうか。
人の心を穿ち、鍛え、癒し、温め、励ますもの、それらは何故か空から降って来るような気がしてさえしまうのである。
もちろんこちらでもUVERworldはUVERworldとしての回答をしっかりと出してくれている。
「誰が僕のこの未来に絶望していたとしても自分自身が終わっていないかどうかだろう」
人は毎日を生きる中で実に些細なことで傷つき、落ち込む唯一の動物と言えるのではないだろうか。
ただし、その落ち込みの原因が真実些細なことであるかどうかは他者には図れないものでもあるのだ。
まるで空から降る思い出の欠片に埋め尽くされそうになり、溺れかけた時、UVERworldの曲はとても響く希望を内包していると言っても差し支えないものであると、そう感じるものであるのだ。