「いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう。と、ベルナールは静かに言った。そしていつか僕もまたあなたを愛さなくなるだろう。我々は、またもや孤独になる。それでも同じことなのだ。そこに、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ」(劇中で引用された、フランソワーズ・サガン『一年ののち』の一節)
ごく普通の大学生の恒夫と、偏屈で頑固者で足の不自由な女の子の話。
ジョセと名乗る自由奔放な彼女に惹かれていく様子に、恋愛に対して、性に対してのフットワークの軽さが表れていて、そしてそれは障害者に対してもなのだと、初めは恒夫のその無遠慮さに鼻白んだ。
けれど、恒夫は真っすぐな男だ。ジョゼに会いたいから会いに行くし、おいしいご飯を食べたいから行く。
好きになった女の子がたまたま障害者だったというより、障害者であるジョゼを好きになったのだという印象。
恒夫はいつもやさしい。そして少しだけ狡さもある。だから恒夫は気ままなジョゼに「ひるんで」しまい、2人は別れを選択する。
淡々と見送るジョゼは、恒夫と一緒に居た時、そこに約束も、束縛も、未来永劫も、求めなかったのだ。
「うち好きや。あんたのことも、あんたのすることも」
2人が初めて結ばれた時に口にしたジョゼの言葉が、あまりにもせつない。
ジョゼは恒夫が自分から離れるその時まで、恒夫を肯定していたのでしょう。
タイトルは、ジョゼの好きな小説の一節です。
2人にとってこの言葉の捉え方は、正反対なのかもしれないな、と思う。
「僕が逃げた」と言ってむせびなく恒夫を非難したいのか弁護したいのか分からない自分のように。