アマデウス・モーツァルトの生涯を彼の人生に大きくかかわった宮廷作曲家サリエリの目を通して描く
映画を見終わった後、人間の生きざまの悲しさ、才能を持ったものは必ずしも人格と一致するわけではなく、持つ才能がゆえに悲惨な一生を送ることもあるのだと強く感じた。全編のストーリーを覆うモーツァルトの曲のすばらしさに、こんな曲を作曲できるのはまさに天才だとつくづく思わされる。また作品の設定がモーツァルトの人格像を天才の才能を持ちながら下品な笑いをし、若い子と戯れる節操のない若者という風にしてあって、凡人のサリエリの嫉妬を十分に掻き立てるものになっているところがうまいと思う。
モーツァルトの才能の凄さを一番理解し、作る楽曲のすばらしさに感動しながらも同じ宮廷作曲家として、自分は敬虔な信仰を持っていたのに神は自分でなくあの下品な若者を神の伝道者に選んだという絶望と怒りから、精神的な毒を持ってモーツァルトをむしばみ死に追いやってゆく。ところがモーツァルト亡き後、長生きしてる自分は、自分の作った楽曲は次々に忘れ去られていくのに死んだモーツァルトの曲はどんどん有名になり人々に愛されてゆくのを見る地獄を味わうことになる皮肉さ。人間の持つ業とすさまじいまでの人生の矛盾、テーマは黒澤明が7人の侍で描いた農民(凡人)が最後は一番強く生き残るという使い古されたものだが改めて心に響くものがある。
あとモーツァルトの才能の凄さを描くシーンでレクイエムを作曲するシーンがあるが、アルト、ソプラノ、バス、テノール各パートに加えて楽器の旋律など複雑な複数の音域を次々に声に出し交響曲を作り上げていくところが引き付けられる見どころだと思う。モーツァルトも長生きしていればもっと優れた名曲を数多く残したろうに、その36歳の生涯が惜しまれる。いつも真実を伝え、その人の作った作品が評価されるのはその天才が亡くなった後にのみである。