いまを生きる / Dead Poets Society

いまを生きる / Dead Poets Society

ニューイングランドの全寮制名門進学校「ウェルトン・アカデミー」を舞台にした1989年のアメリカ映画(日本公開は1990年)。
同校へ型破りな英語教師ジョン・キーティングが赴任してきた事をきっかけに、生徒たちが自主性に目覚め夢を持つようになる物語。
1989年アカデミー賞脚本賞、同年英国アカデミー賞作品賞・作曲賞など数々の賞を受賞。
ニューイングランドの初秋から冬にかけての風景も魅力的。

abcdeu3のレビュー・評価・感想

いまを生きる / Dead Poets Society
10

厳格な進学校の新任教師と生徒たちの心のふれあいと悲劇

素晴らしい教師である。一番多感な高校生に生きていく上で何が必要か身を持って教えていく。映画の端々に人間の真実が描かれている。名門校という理由で、学業で成績を収める事だけを望み、誕生日プレゼントには去年と同じ文具セットを送ってくる親、親が進路を決め、子供の意志など関係なくそれを押し付ける親。どこの国でも教育について生徒と親の抱えている問題というのは同じだなあと思った。自分が将来何に興味を持ち、何を職業として生活を営んでいくか、それは生徒の自由である。ただ親としては、子供の生活の安定や高収入で裕福な暮らしを望むが故に、リスクを負って生徒が興味あるものに好きなように取り組んでごらんと言う親は少ない。生徒のニールは学業も優秀で親は医者を期待しているのだが、演劇への興味が強く芝居でシェイクスピアの真夏の夜の夢の妖精パックを演じ好評を博すが、父親の逆鱗に触れ軍の学校に転入させられることになってしまう。絶望したニールは死を選ぶ。まさに悲劇だが、もう少し長い目で見て、大学は演劇の勉強をさせ役者で身を立てる見込みが立たなかったら、それから医者への道を考えても良かったのではないか。大学で本格的に演劇を勉強し様々な舞台に立ちオーディションにも受けていく過程で、自分の演劇への情熱が単なる高校生の興味だったのか役者を志すほどのものなのかも見極められるはずだ。ほんとに子供の将来を考えているのはキートン教師であり、父親ではなかった。責任をとってキートンは辞職になってしまうが、彼が撒いた種は生徒の中にしっかり植え付けられ育っていたのであった。人間本当に自分が何をやりたかったか、また、精神的な自由を得るのは人生の後半にわかる場合もある。人生の生き方の答えのうち一つがこの映画の中にあるのではないだろうか。