日本のヒップホップ界のカリスマであり、唯一無二の存在
KREVAはラッパーであり、音楽プロデューサー。慶應義塾大学付属高校を卒業後に慶應義塾大学へ入学し、卒業後には就職せずにレコードショップなどでアルバイトを続ける。当時からラップで食べて行くことを周囲に名言しており、有名な話だが大学卒業前に親に「いい大学へ入ったのだから就職をしたらどうだ?」と聞かれた際に、「ラップの方が食えるから」と言い放ったという逸話がある。実際に幼馴染であるCUZEROと共に『BY PHAR THE DOPEST』というユニットを結成しており各方面に名を轟かせていた。1997年からはMCU、LITTLE、DJSHUHOと共に『KICK THE CAN CREW』を結成しヒット曲を連発しヒットチャートを賑わせる。トラックメイキングのほとんどを行い、トラックメーカーとしての才能も開花することとなった。また、KREVAのラップスキルは偉業を打ち立てることとなる。フリースタイルバトルを競う『B-BOY PARK』にて1999年?2001年にかけて3連覇を果たす。この結果を持ち殿堂入りという快挙。後のフリースタイルバトルの礎を作ることとなる。グループ活動に話を戻すと2002年に名曲『マルシェ』にて紅白歌合戦へ出場。2004年にグループ活動を休止し、ソロ活動へ移る。インディーズデビュー曲『希望の炎』はグループ時代に築かれたスキルが詰まったものとなり衝撃を与えるものとなる。その後、シングル『音色』などに加えてアルバム『新人KREVA』などをリリース。2枚目のアルバム『愛・自分博』はオリコンで週間1位を獲得。ヒップホップソロアーティスト初のことであり、ソロアーティストとしての偉業を再び達成する。その後は、草野マサムネ、久保田利伸、三浦大知、古内東子など様々なアーティストとコラボした作品を発表し「国民的ラップスター」の異名を持つ存在となる。