テイルズ オブ ゼスティリア / Tales of Zestiria / TOZ

テイルズ オブ ゼスティリア / Tales of Zestiria / TOZ

『テイルズオブゼスティリア』とはバンダイナムコエンターテイメントが開発したロールプレイングゲームである。テイルズシリーズの15作目にして、20周年記念作品であり、キャッチフレーズは「伝承はいつしか『希望』になる」。壮大な世界観で、自由にフィールドを駆け巡ることができる上、新しいシステムを使用し、おなじみのスキットも楽しめる作品だ。天族に育てられた人間スレイは、純粋かつ大きな夢を抱いた少年だった。少女との出会いをきっかけに彼は災厄に見舞われる世界を救う導師になることを決意する。

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テイルズ オブ ゼスティリア / Tales of Zestiria / TOZ
7

本当は3部作と信じて…

バンダイNAMCOさんが発売しているテイルズシリーズ。
マザーシップタイトルは多くあり、基本的にそれぞれの作品の世界観は独立したものとなっています。今回はその中でもあまり評価の高くないテイルズ オブ ゼスティリアについて紹介します。

導師スレイが神や精霊のような存在である天族とともに旅をし、世界を穢れさせる災禍の顕主を倒すという物語です。穢れという定義がなかなか考えもので、憎悪や嫉妬、怒り、嘆きなど負の感情から発せられるもので、戦争で争い敵を憎む気持ちから穢れを発し、酷ければ憑魔というモンスターになってしまいます。
穢れが多ければ感染するように他の人も穢れに侵され易くなります。かと思えば犯罪に手を染めている子どもは生活のため悪いことと思っていなければ、自分の心を穢していないためか穢れは発しません。誰にでも穢れてしまう可能性はあり、根っ子から腐っている人間も出てきたり、戦争被害者で憑魔になったり、考えさせられるエピソードもしばしば。また、主人公のスレイもそんな人の弱い心を許容し、それでも人の強さを信じて災禍の顕主と戦う姿は好感を持てました。
天族と人間の関係もみどころで、天族は導師の素質あるものしか感じられない存在です。
天族を信じない人、認知できない者を信仰できない人に天族は人を愚か者のように語り、大きな溝ができているんですね。
人であるスレイと幼馴染みであり天族のミクリオとの関係がこの世界の対比のようで、二人のような関係の世界にしたいと思えます。全体を通して人の負の感情やエゴを見させられているようで暗くなりもしますが、鬱ゲー好きの私としては好評価な作品です。

素敵なストーリーラインで進んでいるにも関わらず評価の低さに繋がったのは、戦闘システムとEDだと思われます。
まず戦闘システムで言うとカメラワークの悪さ。敵がカメラから外れたり、戦闘キャラクターを見失ってしまうこともしばしば。
4人パーティーも神衣化システムのせいで基本2人パーティーのようであまり好きなシステムではありませんでした。

EDも主人公が自分を犠牲にして世界を救おうとするんですね…これまで頑張ってきたのにあまりにも辛すぎる終わりかたです。何より気になるのは、主人公は犠牲になったのに、世界は救われたのか、天族と人間の関係もどうなったのか…
戦闘システムはこの際おいといて、スレイが犠牲になったあと、世界はちゃんと救われたとわかる終わりでなければプレイヤーも主人公も報われません。
1年後に発売された、ゼスティリアの数千年前の話であるベルセリアも、素敵なゲームであるのに、どうせ天族と人は分かり合えない、辛い世界が待っているとゼスティリアの影響か寂しい声を聞きます。
3部作としてあらたに完結編が出ればゼスティリアはもちろんベルセリアの評価も上がるはず。
鬱ゲーとして認識していますので主人公が犠牲になるのはゲームの締めくくりとしてはいいと思いますがRPGである以上世界は救って終わってほしいです。