君の膵臓をたべたいを観て。
こんな恋愛映画は初めて観た。主人公の春樹は「愛してる」や「好き」という台詞を使ってない。二人は付き合っているわけでもない。もちろん、キスシーンすらない。つまり、恋人ですらない関係。しかし、春樹と桜良の間には友達以上の独特な親密さを感じる。
キミスイと略して呼ばれることが多い作品だが、かつてのセカチューとはまた違ったタイプの文学作品だと思う。桜良の強さと、春樹の強さは全く種類が違う。桜良の屈託のない笑顔と、それとは対照的な人前では絶対に弱さを見せないという心の脆さ。彼女自身は本当の弱い自分を誰かに話したかったのだ。そこに現れたのが春樹という孤高の存在。彼には同性の友達と呼べる存在すらいない。休み時間に誰とも話すことなく、一人で小説を読んでいる。もちろん、春樹も友達が欲しくなかったわけではない。ただ住んでいる世界の時間軸のスピードが他人とは大きく違ったんだと思う。はたから見れば一人を楽しんでいるようにも見える。他人を必要としない。孤独を受け入れて生きているかのような姿は桜良からはあまりにも強く見えたのだろう。二人とも自分の殻から抜け出せずにいる点で互いに、確実に共鳴した。明日どうなるかもわからないのはすべての人間に共通している。限りある生命を懸命に生きることの儚さと美しさをこの映画は実に見事に表現しているように思う。