時は16世紀イタリア、その時代、キリスト教的観点から
遺体を解剖することはタブーとされてきました。しかし、
医学の発展のために戒律を破ってでも解剖を試みる医師や
学者のため、時の権力者メディチ家がチャンスを与えました。
バチカンから離れたフィレンツェで遺体を解剖し、後学の
ためにその模型を蝋で作って保存したのです。これが
フランス語で「型取り、成形」を意味するムラージュの
始まりといわれています。
フィレンツェの「スペーコラ美術館」には、16世紀に作られた
蝋人形の数々が、今も当時のままの姿で展示されています。
蝋で作られた人体標本たちは、内臓を晒し、時には皮をはがれ
血管がむき出しになった状態でポーズを取っています。
憂いを帯びたその表情は、ともすれば恍惚として見えるほどです。
ここでもっとも才能を発揮したのがガエターノ・ズンボ(1656-1701)です。
もとはナポリの職人でしたが、フィレンツェに移住。
ペストの犠牲者の遺体が街中を多い尽くす様子を蝋細工で再現した
「恐怖」という作品は、死体が腐ってゆく様がリアルに表現されています。
死んで腐ってゆく「天使」。どんなに若く美しい人でも
死を免れることはできません。
その後、ムラージュは主に皮膚科の疾患の教育用に数多く
作られました。カラー写真の無かった時代、皮膚病の症状を
伝えるのに役立ちます。患部の型を石膏で取り、そこに
蝋を流し込んで固めて、本物そっくりに色づけして
作っていました。
皮膚疾患のムラージュのコレクションで世界的に有名なのは
フランスのサン・ルイ病院です。ジュール・バレッタ(1834-1923)は
2000体以上もの作品を作り、レジオン・ドヌール勲章を受章しました。
その作品のほとんどがサン・ルイ病院に収められています。
ムラージュは、明治時代に日本にも伝わり、昭和30年代まで製作されました。
一部が東京大学の博物館などで展示されています。