103歳の現役アーティスト 篠田桃紅さん その凛と背筋の伸びた生き方に憧れます
今年103歳になられた美術家の篠田桃紅(とうこう)さん。著書「103歳になってわかったこと」は現在ベストセラーになっています。年齢にとらわれず、「毎日が新しい」と日々創作活動に打ち込む姿に魅了される人々が続々!桃紅さんの含蓄ある数々の言葉と作品を紹介します。
簡単な略歴
お若い頃の創作風景
作品 Etude
桃紅さんの作品2点。
墨の濃淡、にじみ、金箔、朱泥などを使った「動と静」のバランスが素晴らしい作品です。
作品 Dawn
桃紅さんが語った心に残る言葉
さて、ここからは主に桃紅さんがこれまで著書の中で綴られた「折々の言葉」の中から、特に印象に残ったフレーズを紹介します。
おそらくご本人は、自分の生き方を「自己啓発」的に用いられることなぞ「まっぴらごめん」と思っておられるかもしれませんが、若輩者からすると、「すごいなぁ」とため息が出るような、宝石のように光り輝く言葉とたくさん出逢えたので、どうしてもお伝えしてみたくなりました。
人間の一生は、どんなにやってもやり尽くした、ということにはなりません。これで完ぺきだ、と思える域に到達することもできません。生きているかぎり、人生は未完。
これまで私は長寿を願ったことはありません。淡々と生きてきました。今でも、死ぬまでにこういうことはしておきたいなど、なに一つ考えていません。いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。人が生まれて死ぬことは、考えてもわかることではありません。
自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。死んだあとの魂についても、様々な議論がありますが、生きているうちは確かなことは分かりません。
人の領域ではないことに思いをめぐらせても、真理に近づくことはできません。それなら一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
私は24歳で実家を出てから、ずっと一人で暮らしていますが、孤独を当たり前だと思っています。一人の時間は特別なことではなく、わびしいことでもありません。誰かが一緒にいないと寂しくてたまらない、と思ったこともありません。ごく自然に、一人でいることを前提に生きてきました。
また人に対して、過度な期待も愛情も憎しみも持ちません。そもそも、人には介入するものではないと思っています。
歳相応という言葉がありますが、人を批評するのに年齢はたいへん便利な言葉です。私は歳には無頓着です。これまで歳を基準に物事を考えたことは一度もありません。何かを決めて行動することに歳が関係したことはありません。自分の生き方を年齢で判断する、これほど愚かな価値観はないと思っています。
真正面だけではなく斜めからも見てみる。新たな魅力があるかもしれない。ー人と人の関係も、うしろからもよい、横からもよい。
幸福になれるかは、この程度でちょうどいいと思えるかどうかにある。ーいいことずくめの人はいない、一生もない。
夢中になれるものが見つかれば、人は生きていて救われる。ー頭で納得しよう、割り切ろうとするのは思い上がり。
受け入れられるか、認められるかよりも行動したことに意義がある。ー人の成功を見届けてからの、あと出しじゃんけんではつまらない。
最後に
誰でもが真似できるわけではないけれど。
そのすくっとした佇まいに憧れる人は多いと思います。
人生の先達というのはやはり素晴らしいものです。