コカ・コーラってどうやってつくるの?
発売から130周年を迎え、販売国は200カ国以上、世界で1日18億杯を売り上げているコカ・コーラ。世界で一番有名なこの飲料には「コークロア(Cokelore)」と呼ばれる様々な都市伝説がささやかれています。その真相に迫ります。
コカ・コーラを創った人
コカ・コーラを開発したのは、ジョン・ペンバートン(John Stith Pemberton、1831年1月8日 - 1888年8月16日)というジョージア州クロフォード郡ノックスビル生まれの薬剤師でした。学生時代からとても成績優秀で、地元の新聞でも「ペンバートン博士は、アトランタが生んだ最も著名な薬剤師の1人である」と称賛されたこともありました。
コカ・コーラは1886年5月8日、博士が55歳の時にアトランタで誕生しました。
ペンバートン博士は薬剤師の知識を活かし、爽やかで元気になれる新しい飲料として、コカ・コーラのシロップを開発、販売しました。当初、シロップは水で割って飲まれていましたが、ある日、ある一軒の喫茶店で、うっかり水と炭酸水を間違ってお客に出してしまったところ、「すばらしい」と大好評となり、現在のコーラのモデルが生まれたのだそうです。1杯5セントでした。
コカ・コーラのレシピを知っているのは世界で2人だけ?!
「1886年にコカ・コーラが初めて作られてから今日まで、シロップのレシピは絶対的な企業秘密であり、それを知る者は社内にも2人しかいない」などという都市伝説があります。しかし実際は、製法を記した文書は100年近く銀行の金庫に厳重に保管されてきて、現在はアトランタのコカ・コーラ博物館に移され、見物客が近づけるようになっています。何故このような噂が囁かれるようになったのでしょうか?
1887年、アトランタの薬種業者エイサ・G・キャンドラーが、ペンバートン博士からコカ・コーラの製造、販売権利を買い取りました。そして1892年1月、博士のパートナーだったフランク・ロビンソンらと共に、The Coca-Cola Companyを設立します。キャンドラーはコカ・コーラの改良した新製法を厳守するため、「レシピを知るものは2人に限る」という取り決めをします。最初の2人はもちろんキャンドラーとロビンソンでした。シロップは施錠された部屋で製造され、原材料のラベルは到着し次第剥ぎ取り、書類から他の社員に材料が漏えいしないように、郵便物の開封から経理処理まで全て2人で徹底して行っていたのだそうです。どうもこの会社草創期の規則が都市伝説誕生の原因になったのだと思われます。
コカ・コーラのコカは「コカイン」のコカ
コカ・コーラは、元は「頭痛薬」として開発されました。
ある日ペンバートン博士は、南米で採れ、コカインを抽出できるコカの葉、西アフリカ原産のコーラの実、頭痛緩和の効能があるダミアナを、水と砂糖などで煮詰めた茶色いシロップを作りました。2つの主要な原料から、この液体は「コカ・コーラ」と名付けられました。ちなみに名付け親は、博士のパートナーであり経理係でもあった、フランク・M・ロビンソンでした。
開発当時にはコカインに対する規制はありませんでしたが、コカ・コーラ売れるにつれ、麻薬の成分が含まれていることに対する世間からの非難が強まっていきました。そして1903年にはコカインの使用を中止し、代わりにカフェインが用いられるようになり、現在のようなコーラの成分になったのだそうです。因みにペプシ・コーラも、始めは「ペプシン」という胃薬の開発を目的としてつくられました。
1971年のCMがコカ・コーラのグローバル化を決定づけた
「コカ・コーラが世界中で愛飲されているドリンク」であると印象付けたのが、この1971年に放映されたテレビCMだといわれています。世界中の若者がイタリアの丘に集まり、「世界中の人々にコークを (Like to Buy the World a Coke)」と歌っています。このCMには、戦争や動乱の絶えない世界への反発を象徴すると同時に、コカ・コーラのグローバルプレゼンスを拡大していきたいという意図が込められていたそうです。
スカッとさわやかCM集
1920年9月1日、日本で初めてコカ・コーラが販売されました。しかし、飲んだ人からは「薬臭い」などと不評で、ほとんど売れずに間もなく販売中止になったのだそうです。その後本格的にコカ・コーラが普及し始めたのは、第二次世界大戦後の事でした。1961年の貿易自由化で、一般の日本人にもコーラが販売されるようになり、爆発的なヒットとなりました。