「きいちのぬりえ」~懐かしい子供時代の思い出~

「きいちのぬりえ」は、戦前から戦後にかけて活躍したイラストレーター“蔦谷喜一(つたやきいち)”が手がけた塗り絵作品です。きいちのぬりえは、まだおもちゃなども豊富ではなかった時代、多くの少女たちを夢の世界にいざなってくれました。近年はその憂いを帯びた画風がレトロで懐かしいと再評価され、東京の「ぬりえ美術館」でも作品を見ることができます。

蔦谷喜一の略歴

大正3年(1914)、東京・京橋区(現中央区)で紙問屋を営む
蔦谷家の9人兄弟の五男として生まれる。
幼少時分より人物画を好んで描いていたきいちは、
17歳の時、帝展で山川秀峰の「素踊」の絵を見て
感銘を受け、画家の道に入ることを決意。
昭和15年(1940)、きいちが26歳で「フジヲ」を
名乗り描いたぬりえが、子ども達の間で、人気を博す。
昭和22年(1947)、本名の「きいち」の名でぬりえを発表し、
昭和23年(1948)頃からは、きせかえを制作。
昭和40年頃までぬりえ作家として活躍。
「きいちのぬりえ」は、平均すると月に100万セット、
最高時には160万セットを販売するにまで至り、
名実共に日本を代表するぬりえへと成長した。

知人に持ち込まれて始めた「ぬりえ」の仕事は、
第2次世界大戦中は中段しましたが、戦後になると
復活し、物資の少ない中で少女たちの貴重な
遊び道具になってゆきました。

1978年、資生堂ザ・ギンザの「アート・スペース」で
開催された展覧会で、当時すでに大人になっていた女性たちが
子供の頃を懐かしみ、再評価されるようになりました。

内心には葛藤も

筆の進まないとき、友人と会ったり、良い絵を見たときなどふと我に返り、
「これでいいのか、このままでいいのか」と、と思うことがあった。
初志の夢は遠のいてしまって、私はぬりえなどという、
人からはかんがみられない隔離したしたところで安易な
生きかたをしている。それで寂しくないか、と自分に聞いて
みたくなることもしばしばあった。

しかし、ぬりえは子供の創造性を阻害すると、
悪視されるのを聞いたりすると、私はふるいたった。
ぬりえは絵画の教育ではない、教育とは無縁のもので、
あくまで子供の遊びである。幼い子供の情操を養う
心の遊びだと主張した。もし”塗るための絵”だけを考えて
描いていたらもっと違った教育的なものを描いていたと思う。
私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。
美しい大人なり子供なりを描きたかったのである。
(きいちのぬりえ*草思社)より

当時を懐かしむお年寄りから小さな子供にまで、再び注目を集めている「きいちのぬりえ」

大判シリーズ きいちのぬりえ 着物編

きいちのぬりえ本は、子供の頃を思い出して
懐かしむお年寄りに売れています。
ぬりえは手と脳の運動になるので、痴呆症の予防にも
なるのだとか。

大判シリーズ きいちのぬりえ 昭和の暮らし編

きいちの絵柄は、当時のことを知らない今の子供たちも
魅了しています。

大判シリーズ きいちのぬりえ ドレス編

大判シリーズ きいちのぬりえ 四季の行事編

THEきいちのぬりえBOOK〈2〉

晩年、きいちは、童女を描く「童女画」や「美人画」に取り組み、
「美しさ」への願望を飽くことなく絵の中に見出そうと、
生涯現役の画家として平成17年(2005)、
91歳で亡くなるまで筆を取り続けた。

ぬりえ美術館

荒川区にある「ぬりえ美術館」では、きいちの作品を
中心に、様々なぬりえの原画などが展示されています。
来館者がぬりえを体験できるコーナーも。

東京都荒川区町屋 土日祝日のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

とんとん
とんとん
@tonton

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