【現代短歌】変わりゆく短歌は既に歌人のみ歌うものではなくなってゐる【偶然短歌】

「偶然短歌」を知っていますか?その名の通り、何気ない言葉の中で偶然にも「五・七・五・七・七」のリズムになってしまった文章を抜き出した「偶然短歌bot」が話題を呼んでいます。さらに穂村弘さんが文芸誌「ダ・ヴィンチ」で連載している「短歌ください」で紹介されるのは素人が作成した短歌のみ。今、変わっていく短歌の「事故性」が面白いのです。

「偶然短歌bot」とは?

偶然短歌botは、その名の通り偶然産まれてしまった短歌を投稿しているbotです。
文章はウィキペディアに投稿されているものの中からピックアップされ、偶然にも五・七・五・七・七になっている部分と、ウィキペディア内のどのページの記述なのかが記されます。

「短歌ください」とは?

現代歌人の一人である穂村弘さんは、歌人として歌を自作することだけにとどまらず「もうおうちへかえりましょう」、「世界音痴」、「本当はちがうんだ日記」などのエッセイや「いじわるな天使から聞いた不思議な話」などのショートストーリー、「ぞうのうんこ」「ぺったんぺったん白鳥がくる」などの絵本も発表しています。

短歌を中心とした幅広い活動の中で、文芸誌「ダ・ヴィンチ」では一般公募の短歌の中から、よりすぐった歌を紹介するという連載も担当しています。

「歌人」ではなく「素人」が詠む歌だからこそ、型破りなものが多く、かなり独特!

歌人・穂村さんが語る「安易な言葉に対する怒り」

穂村さんは、対談にてアーティスト「ハルカトミユキ」のハルカさんに「穂村さんの本を読んでいると、「安易な言葉に対する怒り」がよく出てきますが、それは常に感じていることですか?」と聞かれ、

「表現には「共感=シンパシー」と「驚異=ワンダー」があって、詩や音楽の本質はワンダーだと思うんだけど、今は圧倒的にシンパシーの時代ですよね。少なくとも僕が青春期の頃までは、「誰も見たことがないものを見たい」とか、「自分がそれを最初にやる」というようなワンダーの価値が大きかったと思うんだけど、それがここまで値崩れしたのがショックで。「見たことがない、聴いたことがない」ものへの憧れって、どこに行っちゃったのかなって。」

と答えています。

学校で習う「文学」としての有名な短歌と言えば

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき(与謝野晶子)

はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢつと手を見る(石川啄木)

草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり(北原白秋)

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり(斎藤茂吉)

などがありますが、俵万智さんや穂村弘さんによる「口語調」の歌が広がってからは短歌はより身近に潜むようになり、だからこそ事故がおき、そして「ワンダー」を生み出していくのです。

あなたの周りでも「偶然短歌」を探してみたら、そこにワンダーがあるかも。

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